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黒部-阿曽原-仙人-真砂沢-長次郎-剱(剣)岳-室堂 登山

2001.08.11-14

(第一日)11日

さわやかに目が覚めた
うん?、今日はどこかに行くはずだったが・・・?
時計を見たら午前9時50分(^^; ....(^^; ....(^^; ....
あーあ、4時に目覚ましをセットしておいたのに・・・
せめて日のあるうちに阿曽原まで行ければいいが・・・。

とにかくおにぎり6ケ
おかゆっこ8袋
中ペットボトルの野菜ジュース4本
どら焼き4ケ
黒飴1袋
カロリーメイト1箱
懐中電灯に予備電池
雨具上下
軍手
着替え1式
大きな護美袋4枚(sho式非常テント)
山と渓谷社「立山・剣岳を歩く」

小さなリュックには収まらない・・・
中くらいの大きさのリュックに詰めなおしたら、ガバガバ。
20数年前の羽毛スキー服で空間を埋めた。(意外と重い(^^;)

11:07 電鉄富山駅発各駅停車
12:40 宇奈月駅着
12:50 トロッコ出発
14:00 欅平駅着
ここで少し思案した、行くべきか帰るべきか。
とにかく水平道路まで行ってみよう・・・。
息を切らして急坂を登りきったところで対向者に会う。
誰かとすれ違いましたか?
一時間ほど前に背の大きな男の人が・・・
コースタイム4時間半だ、急げば夜にならないうちに着けるだろう。
ぶっ飛ばした。への推進力・・・なんちゃって。
18:50 阿曽原温泉小屋着 
久し振りの山行は流石にへばる、夕食は味噌汁だけにして貰った。

温泉は小屋から5分ほど下ったところにある。
男女時間別完全入替制なので期待しないこと。
それに本当に真っ暗なので覗いても無駄。



(第二日)12日
04:30 阿曽原温泉小屋
トップにスタートしたはず。
1時間後に若い男性ばかりのパーティーにあっさり抜かれた。
どこまで行くんですか、「剣沢でーす」
08:02 仙人温泉小屋着
ここから1時間ほど行ったら、若い単独行の人にも抜かれてしまった。
抜かれたけど見失わない範囲で付いて行った。
離れたら道に迷いそうだったから必死。
11:25 仙人池ヒュッテ着
ガスで後ろ剱の雄姿を見ることができなかった。
明朝の天気予報も悪いとのことだった。
さっきのもう一人の単独行者は泊まる様子だった。
若い4人組は遠の先だし、後から来る人もいない感じ。
えーい、未だ12時ジャン、行けー。
仙人から二股の下りに最初に出あったのが黒いマムシのような蛇。
10組ぐらいの対向者に「誰かとすれ違いませんでしたか」と聞いたら、
「二股のつり橋前でも誰にも出会わなかったよ・・・」
まあ、今日は真砂沢ロッジにしようと決めた。
気が抜けてデレデレと歩いたら真砂沢ヒュッテについたのは5時半。
小屋に入るや否やスコール・・・ああ良かった。
狭いところに大勢が寝たが布団1枚に1人で良かった。
酒飲みのおじさんとか何人かで情報交換。
あちこちの飲みグループの話を聞いてても皆一般登山者のようだった。
ああ、明日は皆にくっ付いて行けば良いんだなあ・・・安眠。



(第三日)13日・・・映画『劔岳 点の記』 剱岳(つるぎだけ)が正式。剣岳は通称。

5:30 真砂沢ロッジを出発。先行組もいれば後続組もいる。
まるで銀座並の人出。今日は安心である。
小屋前のテント場から即雪渓である。
アイゼンの付け方が良くわからなかったので付けずに登る。
雪渓を1時間ほど登ったところで雪渓は二つに分かれていた。
左の雪渓に登って行く人が2、3人見えた。
どこかの岩場に行く人たちだなと思った(^^; ....
右の雪渓に向かう人の中にはじいさんもばあさんも線の細い娘さんもで200人ぐらいはいた。
私も当然、右のコースを辿った・・・。
しかし、これが危機的な判断ミスだったのです。
登れども登れどもどうも見慣れた風景が出てこない。
おかしいなあ、剣沢の小屋があるはずなんだけど・・・。
そういえば昔雪崩で小屋は潰れたんだったけ。

2時間20分で雪渓の途中の右岸に皆が上陸、
ええ、こんなところから登ったっけ???
でもじいさんもばあさんも線の細い娘さんも居るし変だなあ。
壁の下で人に聞いた・・・
「ここは日本でも有名な岩壁のある所。
だからここはアルピニストのコース、
一般登山者は一度半分ほど戻って左の雪渓を登りなおしなさい。」
なるほどガスの合間から壁に向かって左手に見えるのは八峰。
そして、今登って来た雪渓を見下ろした。
あんなとこまで下って、また登り返すのか・・・アホラシ。
とりあえずこの雪渓を上り詰めてみよう。
それで駄目なら戻れば良いさ。
それでその雪渓を上り詰めたのである(^^; ....

剱岳本峰登頂は私の目標ではなかった。
剣沢の小屋とか剱御前小屋とかを通って大人しく富山の自宅に帰るつもりだったのです。
それが、意に反して剱岳本峰登頂というとんでもないことになっていく。

上り詰めると雪渓はいったん切れ、浮き石地獄になった。
すぐ傍であるパーティーが20センチ角ぐらいの石を一個落とした。
転がっていく、どんどん転がっていく。急な雪渓でスピードが上がっていく。
ある時は10メールぐらい軽くジャンプしながら転がっていく。
未だ、何人かの人が雪渓を登っている。
石が方向を変えた・・・
人を掠めてやっと止まった。
500メーター以上は転がっただろう。

私も石を落としてはいけないとハラハラの連続。
落ちそうなやつは先に手でどけておいて・・・と。

浮き石地獄から脱出して、てっぺんの最後の雪渓が30メートルほどあった。
見上げると結構傾斜がきつい。これはアイゼンをつけないといけないだろうなあ。
説明書を読みながら一生懸命取り付けた。
アイゼンを買う時に店のおばはんがこんな運動靴みたいのにアイゼンなんか付くかしらとぼやいていたっけ・・・。

セット完了、そこへ○○山岳会の4人が到着。
いろいろ、教えてもらった。
この雪渓は長次郎。
この谷のてっぺんから右は素人にはまず無理。
左へなら経験者付き添いなら初めての人でも行ける。
「きっと、今日は人が多いだろうから、その後についていけば1時間ぐらいで剱岳本峰までいけるでしょう、どうします???」。
「一度行ったことがあるから連れていって下さい。」
(そう、今を去ること40年近く前に3人組で来たことがあるのである)

そのパーティーの3人目に入れてもらって直登開始。
途中アイゼンが外れた(^^; ....
後ろの人に直してもらった・・・感謝
10:35にてっぺんに着いた。

私が登る左の壁を見た。巾1〜2メール位の溝が上下に走っていた。
手がかりが多そうだったので「ここをのぼっていけばいいですか」
「駄目、落石が転がって来易いから」
「納得」
もうひとつ質問「軍手ははめたほうがいいですか???」
「駄目、素手にしなさい、指が滑りにくいから」

質問するほうも返答するほうも高級だなあなんて思いながら
見られているうちにと登り始めた。
手がかりも足がかりも充分に有りスイスイ。
下を見たが20メートルぐらい下の4人の姿はガスで見えなくなっていた。
声では向こうも壁に取り付いたらしい。

富山側を見ると相当厳しそうな絶壁・・・1000メートル以上の絶壁なのだがガスでよくわからない。
ピークを1つ越し、2つ越しする内に人の声が全く聞こえなくなってしまった。
心ぼそー・・・なんちゃって。

4つ目だったか5つ目だったか、どうにもこうにもならないピークがあった。
しょうがない、ここから雪渓を下ろうと30メートルほど降りた。
でも諦めきれずに上を見た、どこかに隙間があるはずだ。
あった、あれしかない。それで駄目なら本当に降りよう。
30メートルほど登りなおしてその隙間へ。
おお、富山側に渡る人の踏み跡があるではないか・・・感激。
ほとんど忘れているはずの記憶のおかげか・・・感謝。

やがて、剱岳本峰らしい険しい壁が出てきた。
ほとんど垂直で結構高そうに見えた。
死ぬかもしれないと思った。
末後のタバコとおかゆっこで腹を据えて登った。
・・・・・見掛け倒しで簡単だった。
が、それは剱岳本峰ではなかった(^^;
もっと怖そうなピークがまた目の前に出てきた。
今度こそはお陀仏だなあということでもう1個「おかゆっこ」で末期の水兼ご飯。
今度は本当に死にそうだったけどクリア。
大勢の人の声が次のピークから聞こえてきた。

12:10 剱岳本峰着。アルピニストや一般登山者が大勢居て、命が繋がった。
薄日がさしてて暖かだったが、遠くは見えなかった。

「カニの横ばい」という難所で大渋滞になり30分停滞させられた。 

16:30 剱御前小屋着
18:05 雷鳥沢ヒュッテ着、ここはホテル並みの小屋でお風呂も大きい。
テントの人も300円払えば入浴できる。
私はこの2.3日の早起きの習慣のせいか9時半頃に寝てしまった。
起きていた人の話では10時頃にガスが晴れ、流星を沢山見れたそうだ。
スターさんがいつか言ってたように剱御前小屋に泊まればよかった。



(第四日)14日

06:50 雷鳥沢ヒュッテ発
08:00 室堂からバス
      ケーブル
      電鉄南富山駅着


激歩がたたってかびっこになってしまい、接骨院に通っている。
足指の第三関節が炎症を起こしているそうだ。
アホなことにこの炎症をひきずったまま、次は「尾瀬」へ行ったのですが、
これは別記します。→ (社交ダンス sho@富山)旅日記:尾瀬


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