諸説多々有るようですが、いつの頃か都から高い文化を
持った身分の高い女性が住みつき、都からの情報を村人
に教え広めたものと思われる。山間の小さな村落に周辺
とはまったく違った言葉、文化が受け継がれて来たことは
誠に不思議なことで有る。北陸道の親不知伝説との関連
も有り、海の荒れた場合は山越えのルートを利用したこと
から上の路すなわち上路になったのかもしれない。しかし
歴史ははっきりしないが現在の学校跡地からは縄文時代
の生活跡が出土したことから古代から人が住んでいたのは
まちがいない.但しその時代の子孫が現在まで続いて
いると考えるよりも、どこかの時代に途絶えた後新しく
現在の先祖が住み着いたと考えるのが妥当のようである。
普通山姥は恐ろしいイメージで伝えられているが、上路
の山姥は村人の守り神として、また心の支えとして敬われ
慕われて現在にいたっております.坂田峠は山越えの
峠の名称ですが、金時との関連は定かではありませんが、
山姥といわれている女性の子供で武芸の鍛錬をこの地で
行い成人すると母の元を離れ都へ上るのに親子が別れた
峠がこの坂田峠であったのかもしれない。 その山姥と
金時に関連する社碑などを紹介します。