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人界はすっかり夜だった。眼下に臨む街の灯りは、まるで星のように色とりどりにまたたいている。
その中の一つ、青い屋根のこぢんまりとした二階建ての民家を目指す。
「あ、あそこですわ!」
硝子張りの窓に据え付けられた筒型の望遠鏡。それを囲むようにして空を見上げる数人の子供達。純は期待と不安がない混ぜになった表情で、少し離れたところに立っている。
大丈夫、<さんたくろーす>は子供を裏切ったりしない。声を出さずに唱えて心を落ち着ける。
「では行くぞ!」
悪奴弥守殿が最後尾の長老犬に合図を送った。
ソリは速度と高度を同時に下げ始める。そのまま雲がまばらにかかる星空に斜めの直線を描いて、純の家の上を駆け抜けた。すれ違いざま、一人の少女と目が合う。
邂逅は一瞬だった。通り過ぎてから振り返ると、その子が周りの友達の袖を引っ張って空を指し示しているのが見えた。
今のでちゃんと分かっただろうか?
懸念を表す前に悪奴弥守殿が叫ぶ。
「旋回。速度を下げてもう一度行くぞ」
「はい!」
そりは大きな弧をなぞりながら減速し、今度は窓が見える位置で止まった。
一斉に視線が注がれるのが分かる。
「サンタクロースだ!! ホントにいたんだ!」
「でもすごく若いよ?」
「新人なんだよ。若葉マークつけてるもん」
「ソリ引っ張ってるの、トナカイじゃなくて犬みたいだけど・・・」
「犬ぞりサンタだ。おもしろーい」
「ホントに本物かな?」
「本物に決まってるだろ! 空飛んでんだぜ」
「ヤラセじゃないの?」
「どこにもカメラとかないじゃん」
驚きと疑惑、好奇と感動。
「ね、ね、手振ってみようよ」
こちらに向かって小さな手がいくつも振られる。
悪奴弥守殿が手を振り返した。わたしも手を振った。
錫杖が揺れてシャンと澄んだ音が響いた。
「サンタだ・・・」
「女の子サンタもいる」
「そっか。サンタって一人じゃないんだ」
「当ったり前だろ。一人でどうやって世界中を廻るんだよ」
子供達は口々に思い思いのことを述べ立てる。遠くてよく聞き取れないが、とてもはしゃいでいるのが伝わってきた。
純だけが困ったように笑っていた。きっと何もかも分かってしまったのだ。
それでもいいと思う。人外であるわたし達がほんのわずかでも人を喜ばせることができたのなら、嘘つきという罵りなんて取るに足らないこと。
誰にも知られず、誰にも感謝されず。それが嫌なわけでは決してなくて。
ただ誰かに笑って欲しかっただけ。
純が手を振った。唇が「あ・り・が・と・う」と動いたのは気のせいだろうか。
わたし達はもう一度大きく手を振り、ゆっくりとその場を離れた。
「あれで良かったのか?」
悪奴弥守殿が問うた。
「はい」
わたしは答えた。
「そうか・・・。せっかくだから、もう少し飛んでみるか?」
頷くのを待たず、悪奴弥守殿は速度を上げた。
天に星、地にも星。
頬を掠める風が冷たくて気持ちいい。吐く息が小さな雲になって流れてゆく。
わたし達は行き先も決めずにただ飛んだ。
いくつ目かの雲を抜けた時、突然目の前に飛行機が現れた。
「!」
悪奴弥守殿が手綱を引く。ソリは辛うじて障害物を避けた。
「くそ、何ゆえこんなところに!」
舌打ちをしながら体勢を立て直し、離脱する。その横顔が張り詰めていたので察しがついた。この飛行機は戦用だ。
逃げるわたし達を先方は『敵』と見なしたようだ。紡錘形に尖った首が獲物を狙うように巡らされた。
「悪奴弥守殿、追ってきます!」
「分かっておる」
犬達が風を切って疾走する。わたし達だからこそ耐えられる速さ。
それでも戦闘機はついてきた。雲に潜って姿を消しても引き離すことはできない。人の操る巧機がまさかこれほどの性能を誇るとは思っていなかった。
「ちっ。しつこいな」
悪奴弥守殿の表情に焦りが浮かぶ。
妖邪の力を発動させて動力を奪うのはたやすい。けれどそれでは飛行機が墜落してしまう。
そうこうしているうちに、相手が両翼の下から太い矢のような物を取り出して構えた。
「! 撃ってくる気だ。やむを得ん!」
悪奴弥守殿は手をかざし、闇を集めようとした。
「いけません!」
「上昇しろ」
その指示はわたしの制止と同時だった。
「!?」
悪奴弥守殿の手が止まる。
「よそ見をするな! 上昇して減速じゃ」
やさしく力強く誠意に満ちあふれた声。大丈夫だと励ますような。誰が、どこから、などという疑問は二の次だった。
ソリがガクンと角度を変える。後続の機影が斜め下に落ちる。それを確認して、悪奴弥守殿は鞭を鳴らした。風向きが一瞬だけ変わり、わたし達の下を飛行機が素通りしていった。
「・・・・・・」
何が起こったのか理解できず、ただ肩で息をする。
「良うやった。なかなかの腕前じゃ、お若いの」
気がつくと、大きなソリが隣を併走していた。
賑やかな鈴の音。立派な角を持った大鹿達。乗っているのは白いヒゲの老人。白い毛皮の縁取りがついた赤い上着をまとい、後ろに袋を積んでいる。
「あ・・・」
「さ、さんたくろーす!?」
思わず声が裏返った。
おじいさんはにっこりと笑って、すぐに真剣な顔になった。
「気を付けないといかんよ。最近は人間達の乗り物が頻繁に行き交うでな、うっかりしておるとぶつかってしまう」
「す、すみませぬ・・・」
返す言葉もなく頭を下げる。
「ふん、今のはたまたま運が悪かっただけだ。振り切ろうと思えばいつでもできた」
悪奴弥守殿は不機嫌に吐き捨てた。
「奇蹟はそんなことに使うものではない」
おじいさんは怒るでもなく、闇魔将の力を使おうとしたことを遠回しにたしなめた。
「力ずくで物事を解決するのは簡単じゃ。だが簡単に解決したことはまた、簡単に崩れてしまう。広き門の先にあるのは大きな後悔じゃよ」
全てを見透かすような言葉。
悪奴弥守殿は眉間にしわを寄せて黙り込んでしまった。
おじいさんは袋をまさぐり、一冊の本を取り出した。
「空を飛ぶときの心得じゃ。読んでおきなされ」
そう言って悪奴弥守殿に手渡す。
「え・・・あ、お、俺は書を読むのは苦手で・・・」
「大丈夫。これはワシが千六百年かけて考えた<誰でも読める語>で書いてある」
「何だ、それは!? 俺をバカにしておるのか!」
「読みたいと思えば読めるということじゃ。そう尖りなさるな。ワシらは同じようなモノではないか」
おじいさんの声は胸にすとんと沁みたが、最後の一言が意外すぎて、わたしはつい反論してしまった。
「同じではありませぬ。あなた様は聖人、わたくし達は罪人です」
「大した違いじゃありゃあせん。人を辞めておる時点でな」
おじいさんは意に介す様子もない。
「ですが、わたし達は・・・」
なおも言い募ろうとするわたしの口に、大きな飴玉が抛り込まれた。
「嬢ちゃん、主は犯した過ちなど問題になさらぬよ。そんなことより、あなたが今日そんな格好をした理由をずっと忘れないでいなさい」
言われてやっと、自分達が目の前の人物の真似をしているのを思い出す。
「あー・・・、これはその、別に悪気があった訳ではなくて・・・」
喋れないわたしに代わり、悪奴弥守殿が釈明しようとした。
「誰も怒っとりゃせんて。むしろ礼を言う。さぞ大変だったじゃろうなあ」
白いヒゲを撫でてしみじみと目を細める。
「礼など言われる筋合いはない。俺達は好きでやっておるのだ」
悪奴弥守殿はすっかり調子を狂わされ、つっけんどんに答えた。
「それでも助かった。最近はワシを信じてくれる人間が少なくなってのう。こんな時こそ奇蹟が必要じゃというのに、力は衰える一方じゃ」
深刻な事実が淡々と語られる。
「ご老体は人の思念を糧とするのか?」
悪奴弥守殿が聞くと、おじいさんは黙って頷いた。
ああ。純の予測は外れていなかった。この方はある意味においてわたし達と同じなのかもしれない。
「信じる者がいなくなったらどうなるのだ?」
「その時は消えるまで」
「・・・そうか」
悪奴弥守殿は珍しく神妙な面持ちになった。
おじいさんは袋から大きな箱を取り出した。
「今日のアルバイト代じゃ。取っておきなさい」
何か言いかける悪奴弥守殿の口に大福餅を押し込み、箱を持たせる。
「少し道草が過ぎたようじゃ。もう行かねば。あなた方も早く帰りなさい。みんなが待っておるよ」
言うだけ言って、おじいさんはトナカイに鞭を当てた。
光をそのまま音にしたような鈴の響きを残し、ソリは一条の流星になってあっという間もなく消えた。
「しまった。せっかく本物がいたのだから、純に見せてやればよかった・・・」
大福餅を丸飲みした悪奴弥守殿が心底残念そうに呟いた。
夜半にさしかかる頃、わたし達はようやく妖邪界に帰った。
すでに皆寝静まっていて、城は真っ暗だった。回廊の端々に設けられた燭台だけが心許ない灯りを朧に点している。
わたしと悪奴弥守殿は、ここ二週間余りですっかり身に付いてしまった忍び足で、こっそりと裏口をくぐった。それから各々の寝所に帰るべく、渡殿を通って大広間にさしかかる。
と、いきなり襖が開け放たれた。
「随分と遅い帰りであったな」
朱天殿が両手を腰に当てて、般若のような笑顔でのたもうた。
「一体今何時だと・・・」
「説教はその辺にしておけ。せっかくの祝いにケチが付く」
螺呪羅殿がなだめる。
「悪奴弥守も悪奴弥守だ。俺達に一言の相談もなしとは・・・」
那唖挫殿が腕を組んでため息をつく。
「な・・・なな、何を・・・」
「おぬし、まさかバレておらぬとでも思っておったのか?」
・・・思っていた。
「だ、だったらお前達こそ何ゆえ黙っておった?」
「お前か迦遊羅が話してくれるのを待っておったのだ」
朱天殿が、今度は世にも悲しそうな顔をする。
「申し訳ありませぬ。悪奴弥守殿がとても良くやってくださいましたゆえ、わざわざ皆様の手を煩わせることもあるまいと・・・」
わたしは髪が床に触れるほど頭を下げた。
「謝らずともよい。ただ・・・、次からは我らにも遠慮なく相談してくれ」
朱天殿の切れ長の瞳が和らぐ。
「分かったら、二人とも早く寝ろ。明日起きられなくなるぞ」
螺呪羅殿が相変わらず怠そうにせき立てた。
「? 明日?」
話の流れが掴みきれず、思わず問い返す。
朱天殿が苦笑した。
「明日は務めを休みにすると申したであろう。人界では大きな祝いの日に当たるのだ。今月は丁度お前の生まれた月であるし、皆でナスティの屋敷で誕生会を開こうと思ってな」
「皆で? わたしだけでなく、朱天殿も悪奴弥守殿も那唖挫殿も螺呪羅殿もご一緒に?」
信じられなかった。あの戦い以降、妖邪界と人界の均衡を取り戻すため、わたし達は休まず働いてきた。人界に赴かねばならぬ場合は二手に分かれて、常に妖邪界を空にしないようにした。皆で連れだってどこかに出かけることなんてなかったのに。
驚きはそれで終わらなかった。
「俺達だけでない。烈火や金剛、光輪、天空、水滸、それに純も来るぞ」
何と言って良いのか分からなかった。ただ嬉しくて喉が詰まる。
「明日一日確保するのに、半月以上費やした。空間を安定させる結界をこしらえたり、地霊衆に話をつけたり」
那唖挫殿があくびをしながら種明かしをした。
「俺は聞いておらぬぞ? 一人だけ除け者か!?」
「おぬしは今しがた迦遊羅と楽しんできたではないか。贅沢を申すな」
「楽しんでなどおらんわ!! 一体どれだけ苦労したと・・・」
「ならば、その手に持っている箱は何だ?」
「こっ、これは・・・何だ?」
悪奴弥守殿がわたしに尋ねる。そう言えば、まだ中を見ていない。わたしは受け取ってそっと包装を解いた。蓋を持ち上げた途端、
「ほぅ・・・」
感嘆の声を上がる。
入っていたのは、細やかで瀟洒な飾り付けのけーきだった。甘い匂いが鼻をくすぐる。
口をもごもごさせる悪奴弥守殿に、螺呪羅殿が止めを刺した。
「これで貸し借りナシだ。有り難く思え」
大広間が剣呑な雰囲気に染まり始める。
「とにかく今宵は皆、もう休め。話は明日だ」
朱天殿の鶴の一声で、その場はひとまずお開きになった。
床に入るとすぐに瞼が重くなってきた。連日の寝不足と今日のさんたくろーす騒動で、思いの外疲れていたらしい。うとうとまどろみながら考えた。
明日は何から話そう。
まずは純に本当のことを言って謝って・・・。
そうそう。遠い将来、この国の空を翔るさんたくろーすは、頬に十字傷があって犬ぞりに乗っているかもしれないと教えてあげよう。
【終わり】
■泉 鏡一
はい、臍で茶が沸くエセ児童文学です。わざわざ目を通してくださったお嬢様方、お疲れ様でした。
人間が生まれて生きて死ぬことに意味などある訳もないのですが、「生きていていいよ」の赦しが欲しくなる時は誰にでもあるだろうと思うのです。
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