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妖邪帝王・阿羅醐との戦いが終わってから一年余り。
我々は巨大な怨念の支配から脱し、人の心を取り戻した。
だが人とは異なる時間を生きてしまった結果、今更人界に戻る場所はなく、また戻りたいという意志もなく。暗黙のうちに、妖邪界を終の棲家と定めることとなった。
我らは共に戦ってはいたものの、会話らしい会話などしたことがなかったので、ずいぶんとたくさん話さなければならなかった。長い間一緒にいたくせに互いのことを何も知らないというのは奇妙というか間の抜けた感覚だったが、一から知り合い直すのは悪くなかった。
住み慣れた異世界の新たなる調和と安定に奔走しながら、暇を見つけては語り合う。そういう日々が続いた。
妖邪界は人の負の感情が蓄積して成った次元、精神が具現化した世界だと言う。
事実、ここの住人は皆ふよふよと漂う幽霊のようなもので、強く念ずることによって実体化したり物を動かしたり創り出したりできる。人界では何をするにも道具や巧機に頼らねばならぬことを考えると、便利ではある。
もっとも念の出所が心の闇であるため、常に陰惨で殺伐とした雰囲気から逃れられぬという業もあるのだが。
それでも光と影が表裏一体で存在するように、憎しみや怨嗟といった怨念の類も、使い方次第では前向きな力となり得るらしく、迦遊羅の祈りと我々の働きによって、独裁者の去った夢幻の都は不可思議な平穏を保っていた。
ただ一つ、醒めぬ眠りに就いた友を除いて。
「朱天の復活はあり得ぬのだろうか」
月見の酒を呑みながら、螺呪羅がボソリと呟く。
眠れぬ夜には天守閣に集まって呑み交わすのが、いつの間にか慣わしになっている。
「身体の傷は癒えても、意識の消耗だけはどうにもならぬ」
那唖挫が首を振って深いため息をついた。
俺達は朱天が死んだことがどうしても信じられず、 ―― いや、認めたくないと言った方が正しいのだろうが ―― 遺体を氷漬けにして城の地下に安置していた。奴の姿はあの時のまま、満足げな笑みを浮かべて夢でも見ているようだ。
だから余計、今にも目を醒ますのではないかと錯覚してしまう。
「仮死状態とは違うのか?」
「違う。そのように単純なものではない」
那唖挫は毒魔将を振られるだけあって、薬や医術の知識に長けている。多少の経験もあるようだし、見立ては確かだろう。それでも聞かずにいられなかった。
「傷が治るということは、生きているということではないのか?」
「死んでいないから生きている、ということにはならん」
那唖挫は欄干に腕を付き、金色の空を黒く切り取る半月を見上げた。
「未練がましいとは解っているのだ。だが、せめて一言詫びをと思わずにおられぬ」
螺呪羅が緩く波打つ前髪を掻き上げて、自嘲気味に笑った。
奴は今でも時折地下に行き、朱天の亡骸に謝っている。二人は決して親しい付き合いではなかったが、どこか馬の合うところがあったように思う。きっと俺達以上に後悔が深いのだろう。
「何とかならぬのか? 迦遊羅もいたく気に病んでおる」
俺はだだをこねる子供のようにしつこく言い募った。
「望みは薄いが、人界の医術が役に立つやも知れぬ。今しばらく待て」
那唖挫が背を向けたまま返事を投げた。
奴は戦いが終わってから頻繁に人界に通い、烈火達に協力していたナスティの世話で新しい医術を学んでいる。祖父を手に掛けた罪滅ぼしにと、頭を下げて申し出たそうだ。そのせいもあって研究に余念がない。いつ眠っているのか心配になるほどだ。
「余り無理をするなよ。お前にまで倒れられたら困る」
螺呪羅が、この男にしては解りやすい労りを見せた。
「分かっておる」
那唖挫は素直に頷いて杯を空けた。青白い頬が月光に照り映える。
俺はどうにも掛ける言葉が出てこなかった。
妖邪界と人界との往復は簡単なものではない。それを一年以上続けているのだから、朱天を取り戻したいという奴の気持ちに偽りはあるまい。
だが最近は他の理由も加わっていることに、俺は気付いていた。
「那唖挫、いらっしゃい。今日は悪奴弥守も一緒なのね」
ナスティが穏やかな笑顔で出迎える。
人里離れた山奥の湖畔の洋館。こんな辺鄙な所に若い娘が一人で住んでいるなど大層な酔狂だと言ったことがある。すると那唖挫は、苦い笑みをひらめかせてこう返した。
ここはあの娘の祖父の屋敷で、思い出の場所なのだと。両親と離れここに住み続けているのは、祖父の研究を継ぐためだと。
奪った者と奪われた者が、一つ屋根の下に集う。しかも故人ゆかりの場所に。もう酔狂を通り越して狂気の沙汰だ。学者連中の神経は理解しがたい。
祖父の件を謝罪した時、ナスティは那唖挫をひっぱたいた。そして、その一発で全てを赦した。以来、ナスティは俺達に対して何くれとなく世話を焼いてくれる。心に傷を負った迦遊羅が立ち直ることができたのは、この女の力によるところが大きい。恨み憎しみを呑み込むばかりか、さらに優しさで返すのだから大したものだと思う。
そう言えば大雪山で光輪と戦った時、おっとりとした外見から想像もできぬような芯の強さを見せられ、驚いたことがあった。
だから那唖挫の気持ちは解らないでもない。
素直に祝ってやれないのは、この女が朱天を想っているからだ。
数日間を共に過ごしただけの男を死んだ後まで慕い続けるなど、健気さに頭が下がる。
だが、それを承知で片恋を寄せ、しかもおくびにも出さぬ那唖挫には、もっと頭が下がる。
全くままならぬものだ。妖邪と戦う方がよっぽど気楽でいい。
手みやげの花を渡し、奥へと上がる。
食堂の隅に辞書数冊と新聞を載せた椅子がある。小綺麗に片付いた部屋に似つかわしくないものだが、何故か誰も片付けようとしない。
那唖挫は二階の一番奥、女の曾祖父が使っていたという研究室を借りている。ナスティの一族は学者の家系だそうで、広い屋敷の至る所に書物やら研究機材やら昔の資料やらが置いてあるのだ。
「明日、遼達が来ることになってるの。ちょっと騒がしくなるかも知れないけれど、ゆっくりしていってちょうだいね」
部屋には寝台と着替えが整えられていた。
この屋敷は元々、研究で集まる学者仲間の逗留のために建てられたらしく、やたらに部屋数が多い。その上静かで居心地が良いせいか、烈火達は戦いが終わった後もたびたび訪れる。鉢合わせすることも少なくない。
奴らもナスティ同様、過ぎたことをとやかく言い立てることはない。最初はわだかまりもあったが、幾度も剣を交えた仲というのは不思議なもので、いつの間にか打ち解け、それなりの関係を保ちつつ今に至っている。
喜ぶべきことなのだろうが、伴うしがらみは当然増える。
ナスティは、こともあろうに光輪の懸想相手なのだ。表立って話題に上ることはないが、他の四人も勘付いている様子だ。
俺は書物と道具の入った箱を運びながら、気付かれぬようにため息をついた。
ダメだ。
どうにかしてやりたいのは山々だが、このテのゴタゴタは性に合わん。何をどうすれば良いのか見当もつかぬし、そもそも俺の力でどうなるものでもない。
その日は新宿の界の綻びを見廻らねばならなかったので、早々に退散した。
だがその薄情を咎めるように、翌日、俺は新宿の街中でばったり金剛に出喰わしてしまった。
「あっれ、悪奴弥守じゃん。相変わらず時代錯誤なカッコして、ムチャクチャ目立ってんぞ」
金剛は満面に人懐こい笑みを浮かべ、大股で駆け寄ってくる。両手と背中には巨大な荷物。
知らぬ振りをして逃げようかと思ったが、周囲の視線が邪魔をしてそれもかなわない。
「丁度よかった。今からナスティん家に行くんだ。一緒に行かねえか?」
こちらの気も知らず、肩をばしばし叩きながら脳天気に誘ってくる。未だ育ち盛り、追い越されてしまった身長が恨めしい。
「いや、俺は…」
どうやって断ろうかと口ごもっていると、
「今日はナスティと征士と純の誕生祝いをまとめてやるんだ。オレと伸でごちそう作ってな。こーゆうのは賑やかな方がいいだろ」
一方的に話を進められてしまった。
言い分はもっともだし気持ちも分かる。だが、誕生日とはまとめて祝うものなのか?
「この日のために新作を開発したんだぜ。へっへっへっ、今日こそ伸のヤローをぎゃふんと言わせてやる!」
金剛の家は酒家だそうで、こいつの料理の腕は相当なものだ。水滸の方は趣味に過ぎんのだが、すでに達人の域にまで達している。そして家主であるナスティもまた、旨い異国の料理を作るのだ。
ああしかし、ここで餌につられてしまうのは余りにも情けない。まがりなりにも俺は妖邪界の重鎮だぞ。いつまでも外界で遊んでいる訳には…
などと考えているうちに有無を言わさず荷物を持たされ、柳生邸に強制連行されていった。
厨房担当は一足早く来ることになっているらしく、屋敷にはすでに水滸の姿があった。
「どーせだから螺呪羅と迦遊羅も呼ぶか?」
「そうだね。同窓会みたいで楽しいかも」
きびきびと立ち働く二人から屈託のない申し出が飛び出す。有り難いがこちらにも事情がある。
「妖邪界はまだ完全に安定してはおらんのだ。全員が留守にする訳にはいかん」
「あ…そうか」
二人は少しばつが悪そうに顔を見合わせた。
「じゃあ多めに料理作るから、お土産に持ち帰ってあげなよ」
「点心(おやつ)もたっぷりサービスするぜっ」
そう言ってまた手を動かし始める。
俺は礼を言って厚意に甘えることにした。
主賓の一人であるナスティは厨房から締め出されて、書斎で研究の整理をしている。甘い洋菓子が食いたかったのに残念だ、などと思いかけて慌てて首を振った。
そうこうしているうちに全員が揃い、宴が始まった。
「今日も遅刻大魔王は当麻兄ちゃんだったね」
「大魔王ってなあ、純。30分だけだろ?」
「30分も遅れれば立派な犯罪だ。お前、その感覚を改めないといずれ身を滅ぼすぞ」
「犯罪は大袈裟じゃないか、征士」
「でも身を滅ぼすってのは正しいね」
「余計なお世話だ、伸」
「いいじゃないか。サラリーマンとかなら困るけど、当麻は学者になるんだろ?」
「遼……、あなた学者ってものを何か誤解してない?」
「あ、いや、別にそんなつもりじゃ…」
「ナスティはともかく、当麻と那唖挫には当てはまってると思うぞ」
「あ、秀もそう思うか」
「ほぉー。じゃあ参考までに聞いておくが、お前らの言う『学者』ってのはどんなんだ?」
「えーっと…、頭はいいんだけどちょっとズレてて、マイペースで言うことが突飛で」
「目的のためには手段を選ばず、研究室に籠もったら何日も出てこない。時々どかーんと爆発する」
「何だ、当麻そのものではないか」
光輪が身も蓋もなく結論づけて、満座が笑いに包まれる。
天空は躍起になって弁解を始め、那唖挫は不機嫌に黙り込んでしまった。
他愛のない時間がゆったりと流れ、ついしがらみを忘れかけた頃、玄関の呼び鈴が鳴った。
「はーい。どなたですか?」
ナスティが通話口で確認する。
『こんにちは、渡辺です。山之内君はいますか?』
「まあ、教授」
ナスティが急いで扉を開ける。
立っていたのは白髪の小柄な老人だった。医学部で教鞭を執っている人物で、柳生博士の同期だったよしみから、那唖挫が世話になっている。
「遠いところをご苦労様です。何かご用で?」
那唖挫が立ち上がって会釈をした。
「うん、丁度近くに用があったから、頼まれていた機材を持ってきたんだが…お邪魔してしまったかな?」
「いいえ。せっかくですからどうぞ上がってください」
俺達も目線で頷く。教授は柔和な顔を崩して勧めに応じた。
車に積んであった何事かと思うような荷物を運び込んで一息つく。
「いつ来ても賑やかだねえ、ここは」
「お陰様で。退屈しないですみますわ」
ナスティが茶を出し、金剛と水滸が料理を盛る。
「山之内君、たまにはこっちにも顔を出してくれよ。君の論文を読んだ院生達が話を聞きたがっている」
那唖挫は薄く笑って「いずれ」とだけ答えた。
「山之内」というのは那唖挫が人間だった頃の名前だ。人界ではきちんとした姓名がないと不都合なため、方便で使っている。ちなみに服も洋装に銀縁眼鏡と現代仕様だ。俺や螺呪羅や迦遊羅はこちらでは山伏や神主や巫女で通しているのだが、こいつはこの書生姿がすっかり板に付いていた。
「それにしてもすごい荷物ですね。これ、全部実験器具ですか?」
天空が目を輝かせて質問する。何が面白いのやら、俺にはさっぱりだ。
「いや、全部じゃないよ。こっちは柳生君へ。この前、レセプションで京都に行った時、面白い物を見つけてね、研究の役に立てばと思って借りてきた」
教授はそう言って、大きな風呂敷包みを解いた。
頑丈な白木の箱の中、木綿と和紙に包まれて一幅の掛け軸が入っている。
「わあ…!」
広げられた途端、歓声が上がった。
そこには鮮やかな色彩で、我々の鎧九体と輝煌帝、剛烈剣と命の勾玉、そして迦雄須の錫杖が描かれていた。
「これ、美玉湖の神殿にあったのとそっくりだよ。あっちに錫杖は描いてなかったけど」
純が興奮して自分の発見を話す。
「こっちは多分複写だな。わざわざ錫杖を付け足してあるところを見ると、迦雄須一族の外部の人間が描いたものか…」
天空が「智」の表情で分析し、他の面々も口々に感想を漏らす。
「ふむ。まだ若いが研究仲間という訳だね、君達は」
予想以上の反響に、教授が目を丸くした。
研究仲間……まあ、当たらずとも遠からずか。
「柳生君はどう思う? …柳生君?」
一番興味を示すと思っていたナスティの反応がない。
訝しんで見た全員が言葉を失った。
ナスティは壊れた人形のように瞬きもせず涙を流していた。悲しいほどに空っぽの瞳で。
一瞬空気が凍り付いた。
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