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じゃり じゃり じゃり
ザクザクザクザクザクザク
交わす言葉もなく、湿った土を踏みしめる足音だけが響く。背の高い螺呪羅は一歩で純の二歩分を進む。しかも異様にペースが速いため、純は小走りでついていかなくてはならない。
じゃり じゃり
ザクザクザクザク
辺りは足元すら覚束かない暗闇。もう少しゆっくり歩いてほしかったが、無理やりついてきただけに甘ったれていると思われるのが癪で、前を行く背中を黙って追った。オーバーペースにだんだん息が乱れてくる。そのうち木の根のようなものが爪先にひっかかった。
「あっ」
すんでのところで両手をついた。顔面からの激突だけは免れたものの、したたかに両膝を打ってしまう。転んだのだと自覚した途端、痛みが来た。早く進まなくてはと思うのに、なかなか立ち上がれない。どうしていつもこうなってしまうのだろう。どこまでいっても足手まといでしかない自分が情けなくて、涙がにじんできた。
「立てるか」
不意に頭の上から声が降ってきた。泣きベソを見られたくなくて顔を上げないでいると、今度は目の前に骨張った手が突き出された。
「・・・・・・」
つかまれ、というつもりらしい。いかにも慣れないことをした風で、親指が落ち着きなく動いている。
「へ、平気だよっ」
純は思わず跳ね起きた。はずみで涙がこぼれる。螺呪羅は純の予想に反して困惑したようだった。かがんだ姿勢のまま動こうとしない。
「ごめんね。行こう」
純はセーターの袖で乱暴に頬をこすって促した。
「なぜ謝るのだ?」
螺呪羅がやっと背筋を戻して問うた。
「え・・・だって、ぼくのせいで時間がムダになったでしょ?」
「それはそうだが・・・お前は痛い目に遭ったのだろう。謝る必要はないのではないか?」
「? どうして? 痛いと謝らなくていいの? そんなのおかしいよ」
「お前は俺を追い掛けていて転んだ。俺のせいのようなものではないか」
「螺呪羅のせいじゃない、ぼくのドジだよ」
「俺がもっと気遣ってやれば、お前は転ばなかった」
「だからそうじゃないってば。もしそうだとしても螺呪羅に怒るのは違うよ。そーゆーの、ヤツアタリって言うんだよ」
一瞬、相手が息を呑むのが分かった。純は思わず首を竦める。
だが、やってきたのは怒声でも拳骨でもなく、低い呟きだった。
「なるほど・・・。その通りかもしれぬな」
サングラス越しに幽かな笑みをひらめかせ、異界の男は再び歩き出した。今度は後ろに続く足音を確認しながらゆっくりと。その不器用な仕種が自分達を守ってくれたやさしい鬼を思い出させて、純は初めてこの男に親しみを覚えた。
やがて木立が切れて開けた場所に出た。空が見えているにもかかわらず、そこには夜の闇より一段と濃い色がぽっかりとわだかまっていた。螺呪羅は神経をちりちりと焦がすような瘴気の狭間から、界の裂け目の残り香を嗅ぎ取った。
「小僧、下がれ」
万一に備えて純を後ろ手にかばう。だが少年はその腕をかいくぐり、吸い寄せられるように前に出た。
「ここ・・・夢でお姉ちゃんがいたとこだ」
震える声が告げる。
「何?」
まばたきを忘れた視線が闇の奥をさまよい、そのままふらふら踏み出そうとする。螺呪羅はとっさに純の肩を掴んで引き戻した。
「しっかりしろ」
半ば自分に向けた叱咤でもある。実際少しでも気を抜けば引きずられてしまいそうだった。
これほど強い怨念だと言うのに近くに来るまで察知できなかったのは、恐らくこの鎮守の森全体が結界となり、外部に漏れ出さぬよう封印しているからだろう。神社というのは元々「異界」として区切られた領域だ。文明の進歩に伴い神や怨霊といった存在に対する畏れは薄れてしまったが、畏れられるべき存在までが消えてしまった訳ではない。
歴史を紐解くことを生業とする学者ならば、その程度の認識はあるだろうに、禁忌を侵してまで探究心を満足させたかったのか。
「このような場所を暴くなど・・・妖邪門に呑まれて自業自得だ」
螺呪羅は人間の傲慢さに嫌気がさした。今回の人界行きは自ら志願したものだったが、来たことを後悔しそうになる。
「『やめて』って言ったんだよ、お姉ちゃん・・・」
うわごとのように純がつぶやいた。頬を幾筋もの涙が伝っていた。
「止めるためにここへ来たんだ。なのに聞いてもらえなくて・・・・・・」
訝しむ螺呪羅の心に痛烈な感情が飛び込んできた。深い深い悲しみ。この少年のものであってこの少年のものでない、他人を思うゆえに背負う果てしない痛み。
「小僧、お前」
彼は今、この場に刻まれたナスティの記憶をなぞっている。禍々しい怨念の濁流の中で、澄んだやさしさだけを溢れさせて。
「・・・その勾玉のせいか?」
少年の胸で赤い石が光を放っていた。反射で涙がきらきらと輝き、丸く幼い頬を縁取った。螺呪羅は尊いものにでも接したように膝を折った。
中庭から射す淡い光が薄暗い畳の上に格子模様を浮き上がらせていた。
朱天は静かに眠る愛しい人を見つめていた。相変わらず意識が戻る様子はない。時折口元に手をかざし、緩やかな息をしていることを確かめる。
「ナスティ・・・」
枕の上に散った明るい栗色の髪をすくっても、やわらかな感触が指先を滑るばかり。まるで彼女の命までこぼれてゆくような気がして、たまらず一房を掴んで頬に寄せた。
「う・・・ん・・・」
不意にかすかな呻きと共に、ぐったりと動かなかった体が身じろいだ。
「! ナスティ?」
朱天はあわてて顔を覗き込んだ。
「・・・めて・・・。やめて・・・くださ、い」
腕が持ち上がり、何かを掴もうとするように覚束かなく宙をさまよう。那唖挫の治療のおかげか、動いても痛みは感じないようだ。
「どうした?」
その手を両手で包み、ささやくように問う。
「そん・・・なことを、あなたは本気で・・・どうか、どうかもう・・・」
朱天の声は彼女の意識には届かないらしく、なおもここにはいない誰かへの切実な呼びかけがうわごととなって紡がれてゆく。
「時は変わり・・・ました。今さら<語り部>など・・・」
途切れ途切れに発せられる嗚咽とも哀願ともつかぬ言葉は、定かな意味もなさず、ただひたむきで。涙が目尻から流れた後、ナスティはスイッチが切れたように再び昏睡に落ちた。それは一分にも満たない出来事だったのに、押しつぶされるほどの悲しみと無力を承知で何かに挑もうとする使命感が伝わってきた。
「もうよい、もうよいのだ・・・!」
朱天は彼女を掻き抱いた。平常心を失っているのが自分でも解ったが止められなかった。ただこのような状態になるまで彼女を苦しめているものを取り除いてやりたい一心で、体温の乏しい背中を撫で、こめかみを濡らす涙を拭ってやった。思いが通じたのか、体が温まったからなのか、しばらくすると彼女の呼吸は心持ち安らかになった。
朱天は寝顔に苦悶の色がないのを確かめ、名残を振り切るように彼女を床に戻した。そして<語り部>という単語が聴き違いであってほしいとひたすら祈った。
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