〜雑学論文〜 シュテンは武士か神官か


しーさん唱える「シュテン氏霊能者説(爆笑)」に思うところがあり、一筆。
シュテン氏の本名は「狛(こま) 俊忠」というのだそうな。(一体どこで調べてくるんだか。そもそも本編と何の関係もなかろうが…)
多少日本史をかじったことのある方ならお分かりだろうが、狛とは高麗(こま)、つまり高句麗(B.C?〜668/現在の中国東北部〜朝鮮半島)のことである。遣唐使廃止以前までは、朝廷の技術官僚として、大陸から多くの渡来人が招聘されていた。技術を提供する見返りとして然るべき地位を拝領し、そのまま本朝に帰化した者も少なくない。
高句麗出身の帰化組は主に高麗、狛、大狛を称していたが、本国滅亡後に亡命してきた王族が「高麗」を称するにあたり、別表記を用いた「狛」を名乗るようになる。これが狛氏の起源である。
宗家は朝廷から正式に「宿禰」(すくね)という姓(かばね)を与えられており、平安時代から系図を辿ることができる。もちろん、現在もご子孫様がいらっしゃいます。
で、この狛氏、何を生業にしていたかと言うと…、宮廷楽師(南都方楽人)だ(爆笑)
要するにアレですね、雅楽の演奏家です。

雅楽は5世紀頃から9世紀初までの約400年間にわたって中国、朝鮮を経て伝来。大和時代から奈良時代までは渡来した時の形のままで演奏されていたが、平安時代には次第に整理統合されて日本化し、やがて朝廷だけでなく有力寺社にも神事(神楽)として奉納されるようになる。
形式としては、その伝来の系統により「左方」と「右方」とに分けてその楽器編成が区別された。左方は中国、中央アジア、インド方面に起源を有する楽舞に基づくもので、これを唐楽と呼び、右方は主として朝鮮満州方面に起源を有する楽舞に基づくもので、これを高麗楽と呼ぶ。
右方の伴奏は左方と異なり、笙を用いず、龍笛に代わって高麗笛を、鞨鼓に代わって三の鼓を使う。絃楽器は全く用いない。舞は原則として緑色の系統の装束を用いる。舞人は、向かって右の方から進み出て舞台に登り、三の鼓と太鼓のリズムに合わせて舞う。
乱暴な説明ですが、現在右方の楽は散佚してしまったものが多く、素人の知識ではこの程度が精一杯です(笑)

宿禰とは主に連(むらじ)姓の神別氏族(天神地祗、つまり『古事記』等に記載される神様の子孫と称される氏族)に与えられる称号で、諸蕃(蕃は外国の意。差別的な色彩が濃いので使わないように!)出身の氏族がこれに分類されるのは珍しい。おそらく右方楽衆の中でも、かなり高い位置を占めていたものと思われる。

狛氏の本拠地は現在の京都府相楽郡狛南庄。シュテン氏の出身地は山城、中国系渡来人や高句麗人が多く移住した地である。おお、ドンピシャでないか。苗字に堂々と「狛」を冠しているところから察するに(狛宿禰家は後に、窪(久保)、上、奥、辻、芝、東、須波、西等の諸家に分かれる。源氏が足利氏と新田氏になったようなもの)、彼は間違いなく宗家筋の人間だろう。世が世なら、賀茂神社あたりで神楽を上演している筈である。(そんなアホな、平安から戦国まで500年以上経っとるやないけ、というアナタ、笑うなかれ。皇室では現在も大概の儀式を平安時代と同じ方式で行っているのだ)しーさん、当たらずとも遠からず。
それが何を血迷ってお武家さんになっちまったのやら(笑)

考えられる背景としては、西暦1500年前後の山城において住民自治の気運が高まっていたことがある。
鎌倉以降江戸未満の日本は、貴族や寺社の私有地である荘園(幕府にも朝廷にも属さず、治外法権・脱税公認)と、幕府が任命した守護が治める地とがまだら状態で混在していた。守護大名は武力を以て旧勢力である荘園領主を追い出そうとする。荘園側は目には目をと土着武士を雇って抵抗する。
そういう小競り合いに加えて、当時山城では、守護職にあった畠山政長と隣の河内を軍事制圧した畠山義就が、八年に亘って陣地兼家督争奪戦を繰り広げていた。地元民はたまったものではない。ついに1485(文明17)年、世に言う「山城の国一揆」が勃発する。宇治・久世・綴喜・相楽の四郡の住民が一致団結して畠山軍を追い出し、荘園領主の実権を剥奪して(名目上の支配は認めた)、国人(武装豪農)36人の合議制による独立自治を敷いたのである。甚だ未熟ながら、日本史上初の市民革命と言ってよかろう。
1493年、伊勢貞宗の軍勢により自治権を失いはしたが、気骨ある山城人は、その後もたびたび徳政令を要求する一揆を起こして京師に攻め入っている。守護の支配が本来の拘束力を失っていたと見て差し支えあるまい。
ちなみに同時期、加賀で農民による一向一揆が起こっている。
己の生存権を勝ち取るためには、農民だろうが芸人だろうが侵略者に対して立ち向かわなければならない。戦国時代とは武士同士の諍いばかりではないのだ。
日本は基本的に氏族社会なので、有事蜂起の際、リーダーはある程度の血統書を背負った人物が望ましい。また井沢元彦氏あたりに言わせれば、ケガレと怨霊信仰が根底にあるため、履歴書の学歴・職歴欄に「明応八/山城土一揆鎮圧に参戦。上げた首級二十三個」などと書かなければならない罰当たりなヤクザ者は、できれば担ぎ上げたくない。
まして戦乱の原因を作った武家領主ともなれば尚更だ。服従の意志を見せたが最後、軍需物資を搾取された挙げ句、労役に駆り出されるのは目に見えている。
その点狛氏は、元異民族とは言え神職に近く、由緒も肩書きもある。やんごとなき出自の方は成り上がり者と違い、苛斂誅求をしない。きっとシュテンさんの何代か前のご先祖は公徳心に厚く血の気の多い人で、地元の要請に応じて武装決起したのだろう。そして、シュテンさんの代でご当主が神隠しに遭ったおかげで右方雅楽は断絶してしまったと(笑)

ちなみに他の魔将達が彼にきつく当たったのは、彼から中央出身のええとこの若君の匂いを嗅ぎ取ったからではないかと。民主主義の現代でさえ、大都市から地方に引っ越してきた財閥の坊ちゃん嬢ちゃんがイジメに遭うのだから、室町後期の道徳観念では、むしろ当然の成り行きであると言える。
(余談だが、筆者の小学校時代、国語の教科書に『つり橋わたれ』という作品が載っていた。都会っ子と田舎っ子の交流を描いた秀作だったが、差別を助長するという理由で冒頭の「もやしっ子」という台詞が削除されていた。田舎者として、非常に納得のいかない思いを抱いたものである)

以上、考証学的見地から分析すると、シュテンさんは戦国武将ではなく、地元衆を率いた世直し一揆の旗頭であった可能性が高くなるという雑談でした(笑)
華々しいドリームを好まれる方からは激しいクレームが付きそうだが、筆者はこういうスタンスもそれなりにかっこよいのではないかと思う。

しかし…つくづくマニアックな設定やなあ。考えたスタッフは大したものだ(笑)

文責:泉 鏡一



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