■■■■■ わたしの青空 ■■■■■


天橋立の修復は、五人のサムライトルーパー達の献身的な働きのお陰で人知れず終えることができた。
暁に映える松林を眺めて安堵したのも束の間、疲労の余り人事不省に陥った五人を自宅に送り届けるという仕事が増えてしまった。
那唖挫は文字通り我が身を削って努めた結果、立つことも覚束かぬほど消耗しており、これ以上働かせるのは酷だとは思ったが、五人には我々と違い家族や定まった生活がある。朝起きたら姿が消えていたというのでは何かと不都合であろう。なるたけ負担が軽くなるよう奴には近在の伸と当麻を任せ、私は遠方の三人を引き受けた。

鎧の記憶を頼りに家の場所を探り当て、自室まで運んでやる。遼は実質独り暮らしなので問題なかったが、秀と征士の方は家人の目を避けて玄関でない所から忍び込む羽目になった。
三人とも前後不覚に寝入っていたため、直接礼を言うべきところを懐紙に謝辞をしたためて済ませ、急いで天橋立に戻る。
しかし那唖挫が見当たらない。気配を辿ると、どうやら当麻の家にいるようであった。

当麻の住まいは瀟洒な長屋といった風情の集合住宅である。彼も遼同様、保護者が留守がちであるらしく、その点の配慮は無用だったが、すでに起き出している隣人の目を避けて窓から入らねばならなかった。
何やらなし崩し的に道を踏み外しているような気がしたが、そもそも我らは根本的に道を外れている。今更何をかいわんやだ。
書物や電脳箱(ぱそこん)でごった返す部屋の中、当麻は寝台の上で規則正しい寝息を立てていた。そして那唖挫はその寝台に凭れるような格好で熟睡していた。伸を送った後、当麻を運んでここで力尽きたのであろう。
時計は7時半を回っている。この調子では今日は全員起きられまい。申し訳ないことをしてしまった。この借りはいつか必ず返さねばなるまい。
天橋立の小冊子に礼状を添えて机の上に置き、那唖挫を背負って当麻の家を後にした。


すぐに妖邪界へ帰りたかったが、<綻び>が閉じたばかりの不安定な場を再び破る訳にはいかない。仕方なく行き来に最も良く使う小田原の山へと向かう。ここは以前迦雄須の導きで妖邪界へと繋がったためか、周囲の空間にほとんど影響を及ぼすことなく非常に安定した状態で<道>を開くことができるのだ。




舗装された道路から少し外れた山道を、湖のある峠に向かって登ってゆく。さすがに途中から息が切れてきた。那唖挫は余程疲れているのだろう、扱いが荷物並みになっても一向に目を覚ます様子がない。
なだらかに続く山の斜面を見上げると、色づき始めた木立の合間に丸太造りに赤い屋根の洋館が静かに佇んでいた。
やさしい人が暮らすなつかしい場所。人としての生き方を手放した私に、身に余るほどの安らぎを与えてくれた。思い出すだけで温かな鼓動が胸に満ちる。
我知らずそこに向かおうとする足を慌てて引き戻した。
行ってどうしようと言うのだ。戦いは終わった。もう私があそこにいても良い理由は何一つないのに。
私は呼吸を落ち着けるため、湧水の傍に設けられた長椅子に腰を下ろした。
空は高く果てのない青に澄み渡っている。妖邪界の金色にくすんだ空を見慣れた眼にはいささか鋭すぎる色だ。


しばらく瞑目していると、表の道で車の止まる音がした。間をおかず人の降りる気配。

「朱天!」

偶然か、それとも強く願ったゆえの幻覚か。
その人は何の躊躇もなく私の名を呼び手を振った。私はどう反応してよいか分からず、ただその姿を凝視する。
「どうしたの、こんなところで? まさか那唖挫がケガでも・・・?」
空よりもまぶしい笑顔は長椅子に横たわる那唖挫に気付くや曇り、靴に泥が付くのも構わず彼女は駆け寄ってきた。
栗色の長い髪がやわらかに風を含んで揺れ、仄かな香りが鼻先を掠める。
甘く、それでいて清しい異国の花の匂い。
どうやら幻ではないらしい。
「いや、疲れて眠っているだけだ。心配するほどのことではない」
「本当?」
彼女は那唖挫の顔を覗き込み、額に手を当てた。
「・・・熱とかはないみたいね。よかった」
無事を確かめ、やっと表情を緩める。相変わらず心配性だ。
「こんなになるまで働かなきゃならないなんて、妖邪界の方、大変なの?」
「大変と言えば大変だが、手に負えぬほどではない。今回はたまたま運が悪かっただけだ」
私は殊さら明るい口調を返し、笑ってみせた。
彼女もつられて少し笑うが、その表情はどこか精彩を欠いているように見えた。
「もしかして眠っていないのではないか、ナスティ?」
思い当たる節を尋ねると、彼女は驚いたように目をしばたかせた。
「いやだ、分かる? そうなのよ。学会の準備が押しちゃって徹夜明けなの。実はこれから家に帰るとこ」
そう言っていたずらを見つけられた子供のように小さく肩をすくめる。
「偶然だな。我々も昨夜は一睡もしていない。おかげでこの有様だ」
私は那唖挫を指差し苦笑した。
「まあ・・・、それじゃあなたも大変でしょう。うちで少し休んでいったら?」
大変なのは自業自得である。気遣いは無用だと断りかけるが、遠慮がちに、それでいてどこかすがるような眼差しで答えを待つ彼女を見てやめた。そんな顔をされては否と言えない。
「ありがたい。そうさせてもらおう」
結局そのまま柳生邸に行き、朝餉を振る舞って貰う運びになった。



ナスティは疲れている素振りなど微塵も現さず、きびきびと立ち働いた。
「トーストでごめんなさいね。ご飯炊いてる暇がなくて・・・」
「いや、君の作る料理はみな美味い」
衷心からの感謝を述べると、彼女は頬を真っ赤にして俯いてしまった。
「や、やだ、もう・・・お世辞はやめてちょうだい」
「お世辞などではないのだが・・・」
何か気に障る点があったのだろうか。
確かに彼女の料理は献立も味付けも斬新で食べ慣れぬものが多いが、喜んでもらおうという心尽くしがひしひしと感じられて実に快く食すことができる。以前この屋敷に世話になっていた時、食卓に就くのがどれほど楽しかったことか。
とは言えそれを釈明するのは見苦しい気がしたので、黙って食事を続けることにした。
ナスティはいつもより言葉少なだったが、おかずを取り分けたりおかわりを注いだり、甲斐甲斐しく給仕をしてくれるところを見るに、怒った訳ではないらしい。
とりあえず先程からの疑問を口にしてみることにした。

「よく我々が分かったな。奥まった所にいたのに」
もし目立っていたのなら、何か対策を講じなければ。衆人の記憶に残るのは我々にとって好ましいことではない。
心中を察してか、今度は整然とした答えが返される。
「あの戦い以来、雲水や行者の人に敏感になっちゃって。それにあなた達、この辺りを通ることが多いでしょう。もしかしたらって、つい姿を捜しちゃうみたい」
では先程も、そうして見つけてくれたのか。
喜びと戸惑いが同時に込み上げた。
「気にかけてくれるのは嬉しいが、運転中のよそ見は危ないのではないか?」
懸念を示すと、
「あら、わたしの運転の腕前は知ってるでしょ。大丈夫よ」
彼女は胸を張って軽く片目を閉じた。
この人は自分にできることとできないことをわきまえており、悲しいほどに差し出がましい真似をしない。だからこれは強がりではないのだろう。
私は頷いて、腹を満たすことに専念した。


途中何度か那唖挫を起こしたが、謎めいた寝言を返すばかりでついに瞼を開けることはなかった。
「息をしたまま死んでいるのではあるまいな・・・」
ため息混じりに呟くと、ナスティはくすくすと笑って弁護した。
「疲れてるのよ。寝かせてあげたら?」
「何か腹に入れた方が早く回復すると思うのだが」
「那唖挫にとっては寝るのが一番の薬なのよ。研究で遅くまで起きてる時も、あんまり夜食とか食べないし」
那唖挫はこの屋敷に研究室を借り、多忙の合間を縫って人界の医術を学んでいる。進捗次第では何日か泊まりがけになる場合もある。当然その間は彼女の厄介になる訳で、今の口振りからすると、こういった事は一度や二度ではないのだろう。
他にも迦遊羅や悪奴弥守が事あるごとに立ち寄るようであるし、五人の若武者達も足繁く通っていると聞く。全てはこの家の居心地の良さゆえ、気持ちはよく解る。
だがそれを迎える彼女自身はどうだろう。とてつもない負担が掛かっているのではあるまいか。
「すまぬ、面倒をかけ通しだな」
詫びるとナスティはわずかに目を伏せ、首を振った。
「全然。誰かが訪ねてきてくれるのは嬉しいわ。賑やかで楽しいもの」
「ならば良いのだが、・・・余り無理をせぬようにな」
それ以上は会話が続かず、無言で茶を口に運ぶ。
賑やかにしてやることもできず手間を取らせるばかりの自分は、きっとつまらぬ客に違いない。
せめてこれ以上彼女を煩わせまいと、空になった湯呑みを卓に戻した。
「世話になった。そろそろお暇する」
一礼して立ち上がると、ナスティは私の袖に腕を伸ばし、届く寸前に引っ込めた。
指先が小刻みに震えていた。しばらく物言いたげな瞳で私を見上げてから、唇を噛んでその指を手の平に握り込んだ。

いっそ抱き締めてしまえたら。そしてそのまま連れ去ってしまえたなら。
彼女を囲む全てから切り離し、自分一人のものにして・・・

咄嗟にそんな衝動が走り、慄然とした。
何という身勝手な考えだろう。
人として生きる者からその生を取り上げる、そんな権利が私にある筈がないではないか。
少し疲れた程度で道理を見失うようでは、まだまだ修行が足らぬ。
自嘲に歪みそうになる口許を見られまいと背を向けた。
目の端で一瞬だけ捉えた彼女の瞳は、頑是無く潤んでいた。
きっと彼女も疲れているのだ。
「君も早く休むといい」
平板な口調で言い、那唖挫を担ぎ上げた。
「ありがとう。みんなによろしく」
「うむ」
この人らしい返事だと思った。
常に自分より他者を思いやる。喩えどれほど辛い状況に置かれようとも、恨みや憎しみに心を委ねることなく。
だからこそ、あの人知れぬ戦いに最後まで立ち会うことができた。
純粋なやさしさは時としてあらゆる力に勝る。それが綺麗事でないと、今なら信じることができる。
裁きを待つのみだった私を救い、『みんな』の一人に加えてくれた人。
彼女を、彼女の住む世界を守ることが、私に赦されるただ一つの幸せな贖罪。
それでよい。



ナスティは我々の姿が見えなくなるまで戸口で見送ってくれた。
那唖挫は相変わらず眠りこけている。
私も早く帰って休まねば。やるべき仕事が残っているのだから。
遠ざかる青い空を眺めながら、今から眠りに就く彼のひとに良い夢が訪れることを心から祈った。



【終わり】



■泉 静流
掲示板のけいっちさんの書き込みのおかげで愛(笑)が燃え上がり、ほとんど勢いだけで書いてしまいました。遅筆のわたしにしては驚異的な早さだったような(^▽^);
時間的に『眠れぬ夜の〜』の続きですが、脈絡ゼロです。ナァ様、ごめん(−_−)ゞ
ベッタベタのラブコメにする予定だったのに中途半端にシリアスなのがアイタタ・・・。




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