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九月十五夜 陽は落ちて
月は真ん丸 嫦娥の鏡
面(おもて)磨けば雲さえ滑る
隣に俺がいるのを気に止める風もなく、朗々とあどけない歌が口ずさまれる。一族に伝わる童唄か何かだろうか、洒落の利いた歌詞とは裏腹に韻律はどこか厳かでもの悲しい。
今宵は雲一つない仲秋の名月。山は秋の気配を濃厚にまとい、薄を揺らす風が少し肌寒い。
「寒くはないか、迦遊羅?」
問いかけると歌は止み、代わりに弾むような声が返ってきた。
「いいえ、ちっとも。人界の空気は心地良うございます」
「そうか」
―― 心地良い
今し方、越界を犯した妖邪を浄化してきたとは思えぬ言葉である。いくら怨念の塊となり果てたとは言え、元は人であった存在と戦うのは決して楽しいことではあるまいに、この幼さで己の使命を受け入れているというのか。
「…月が美しいな」
何となく黙っていることができず、脈絡のない話を続けた。
「そうですわね。月だけはあの頃と変わりません」
明るい口調が胸に刺さった。
平気なわけがないのだ、やはり。
持って生まれた性質なのか、鎧と共に備わった能力なのか、俺は他人の感情というものに異様に敏感だ。その気になれば心を読むことさえできる。無論、日常生活においては力を閉ざしているが、身近にいる者が漏らす感情までは完全に遮断できない。だから普通の人間ならば額面通りに受け取って済ませられるものを、つい余計なところまで視てしまう。
もっともそんな小賢しい能力に頼らずとも分かるほど、この小さな娘は傷ついている。
ものの分別もつかぬうちに一族を皆殺しにされ、異界に攫われた。自我を封じられた虚ろな日々の末、やっと正気に戻ったと思ったら、今度は二界の守護という重責を背負わねばならぬときた。目を閉じれば悪夢、開ければ苦界。平気な方がどうかしている。
「…そうだな。世の中の移ろいとは不思議なものだ」
そして残酷なものだ。
我らは己の与り知らぬ間に時の流れから取り残され、帰る場所を永遠に失ってしまった。
ぼんやり前を見ながら歩いていると、つと、袖が引かれた。
「大丈夫ですか、螺呪羅殿? お疲れなのでは?」
六寸ばかり低い位置から、黒目がちの円らな瞳が見上げている。
何ということだ、心配されてしまった。
俺は苦笑して迦遊羅の頭に手を載せた。
「俺の心配など百年早い。それより帰ったら皆で月見でもするか?」
大きな目が嬉しそうにまたたく。が、
「でも…、妖邪界はいつも月が出ています。わざわざ見るのも何か……」
困ったように小首を傾げる。
しまった。そこまでは考えていなかった。
己の無粋さに頭を抱えたくなった時、赤い自動車が脇を走り抜け、十間ほど先で止まった。
「螺呪羅、それに迦遊羅じゃない」
栗色の髪の女が窓から顔を覗かせる。
迦遊羅の顔がぱっと輝いた。
「ナスティ様! お久しゅうございます」
裾を翻し慕わしげに走り寄る。まるで姉妹が再会したかのようだ。
「本当にしばらくだねー。元気だった?」
助手席から純が半身を乗り出した。どうやらこの子供を迎えに行った帰りらしい。
「こっちに来てたなら言ってくれればよかったのに」
「すみませぬ。今回は急な用事があったもので…」
迦遊羅の態度で大方を察したのだろう、二人はそれ以上訊かなかった。
「それでもう用事は済んだの?」
「はい。今から妖邪界に戻るところです」
「ね、よかったら少し休んでかない? 今夜は十五夜でしょう。秀の誕生パーティを兼ねてお月見をするの」
「お月見ですか!」
迦遊羅は今にも飛び跳ねそうになるのを堪え、慌てて俺の方を振り返った。
向こうには朱天も那唖挫も悪奴弥守もいる。少しぐらい戻るのが遅れたとて大した支障にもなるまい。
俺は無言で頷いてみせた。
屋敷にはすでに五人の客がうち揃っていた。
湖が一望できる広い濡れ縁に折り畳み式の円卓と椅子がしつらえられ、花瓶だか壺だかよく分からぬ巨大な器に薄が生けてある。準備は万端のようだ。
「おっ、迦遊羅に…螺呪羅じゃねえか!」
我々の姿を見つけた金剛が目を丸くした。
「珍しいな、お前がここに来るなんてよ。どういう風の吹き回しだ?」
「どうもせぬ。今回は俺の持ち回りだっただけの話だ」
味気ない返答だが、実際その通りなので仕方がない。
「何だ。俺の誕生日でも祝いに来てくれたのかと思ったのに」
「誕生日の話は先程聞いたところだ。が、せっかくだから祝ってやらんでもない」
「お前なあ…、もちょっとマシな言い方、ないワケ?」
「おめでとう、とでも言えばよいか?」
苦笑しながら祝辞を述べると、
「い、いや、そう素直になられても気色悪ぃもんが…」
複雑な表情で頭を掻かれてしまった。一体どうしろと言うのだ。
「二人とも、こっち来て座れよ。月が湖に映ってきれいだぞ」
烈火が呼んだので、我々は勧めに応じて手摺り際に腰掛けた。
黒々と繁った森と並んで青い墨を流したような水面が横たわる。淡い月明かりの下、さざ波がゆらゆらと光っては消え、消えてはまた光る。なるほど、なかなかの絶景だ。
「面子が揃ったところで、そろそろ始めるか」
天空が読んでいた本を閉じ、宴の開始を告げた。
厨から次々と料理が運ばれ、卓の上はあっという間に皿で埋め尽くされる。
ここを訪れる度につくづく感心するのだが、此奴らは本当によく食べ、よく飲み、よく喋る。誕生祝いやら何やらは半ば口実で、単に集まって騒ぎたいだけなのかもしれない。
仲良きことは美しきことだが、この賑やかさは少々馴染みがたい。息が詰まるというほどではないにせよ、身の置き所に困ってしまう。
「螺呪羅殿、もっと召し上がってはいかがです? 珍しい西涼酒(わいん)もありますわよ」
迦遊羅が手に瑠璃杯と小皿を持って寄ってきた。
歳が近いからか、はたまた性格なのか、迦遊羅はこの雰囲気に違和感なく溶け込んでいるようだ。連れが所在なげにしていては、せっかくの楽しみを邪魔することにもなりかねん。
俺は重い腰を上げて談笑の輪に加わることにした。
「ふむ、本当に良い酒だ。呑み比べでもしてみたいところだな」
軽い冗談のつもりで呟くと、
「おっ、いいねぇ!」
金剛が乗ってきた。
「何言ってんの。ヴィンテージ・ワインはそういう飲み方するものじゃないだろ」
水滸が眉をひそめてたしなめる。
「それに我々は未成年だ。アルコールを飲んではいけないことになっている。…一応」
光輪も控えめに反対するが、手にどぶろくの入ったぐい呑みを持ったままなので説得力がない。
「カタイこと言うなよ。こういうのはさ、やっぱパーッと盛り上がんなきゃ」
「それはそうだが、余り羽目を外すのは…」
「だったら酒じゃなくて別のものにしたらどうだ? 例えば…、そこの団子とか」
天空が宴の主役の意を汲んで、と言うより己の好みで打開案を出した。
「フードファイトだね。おもしろそう!」
純が真っ先に賛成する。
「ふーどふぁいと?」
迦遊羅も興味を示した。
「要するに大食い競争だ。秀の誕生祝いにはうってつけの企画だろ?」
「人のこと言えんのか、当麻!」
「でも団子だったら月見だし丁度いいんじゃないか」
「材料もまだたくさんあるしね」
「作る分には構わないよ、僕は」
何やかや言って、結局全員賛成のようだった。
言い出した張本人ゆえに、俺も加わらざるを得ない。こういう莫迦騒ぎは肌に合わぬが、郷に入っては郷に従え、と腹を括る。
「ただ普通に喰うだけじゃつまんねぇよな。飽きちまう」
という金剛の提案で、腕に覚えのある(?)者が各々、違った趣向の団子をこしらえることになった。思い思いの具を中に入れ、何の味か分からぬよう外側を同じ色の皮で包む。
…発想は面白いが、これは果たして『団子』と呼べるのか?
そんな疑問を抱くも、既に後には退けない。
参加者は、烈火、金剛、光輪、天空、そして俺。迦遊羅とナスティと純は給仕に回り、なぜか水滸が審判を務めることになった。
「制限時間は一時間。その間に食べた数で勝敗を決める。ただし一度手に取った団子は必ず完食すること。食べきれなかったら、その時点で失格。いいね?」
かくして、戦いの火蓋は切って落とされた。
「いい匂いだな。これは柚か?」
「当たり。隠し味にオレンジリキュールもちょっと、ね」
水滸が得意気に解説する。よく分からぬが大したものだ。
「あ、これうまい。イチゴジャムが入ってる」
「それはわたしが作りました」
迦遊羅が頬を紅潮させて手を挙げる。
「こっちは…チョコレートとバナナだ」
「えへへ、それぼくの」
純がいたずらっぽく舌を出した。
「っっすっぱ〜…。誰だよ、梅干し入れたヤツ?!」
「黙って食べろ。梅干しは体に良いのだ」
光輪が顔色一つ変えずに次の団子に手を伸ばす。
「…トマトとチーズはやめてくれ。ピザじゃないんだから」
「ご、ごめんなさい。ちょっとミスマッチだったかしら?」
ナスティが口に手を当てた。
俺はひたすら黙々と食べ続けた。こう知らぬ食材ばかりでは、感想どころか旨い不味いの見当すらつかぬ。
「当麻っ、青海苔とソースなんか入れんじゃねえっ!!」
「紅生姜とマヨネーズもあるぞ」
「それで喜ぶのは関西人だけだ!」
「だったら、ニンニクや挽肉はいいのか?」
「焼売か小籠包だと思って食えよ」
……おい、団子は和菓子ではなかったか?
頭と腹に重さを感じながら、幾つ目になるか分からぬ団子を頬張った瞬間、
「!」
前歯に固い感触が当たった。
これはもしや…
恐る恐る取り出してみると、それは皮の付いた栗だった。
「…何の真似だ、これは?」
さすがに不機嫌を隠せず、低い声で問う。
「ああ大丈夫、ちゃんと茹でてある」
烈火が悪気の欠片もない顔で答えた。
「いや、そういう問題ではなくて…、このままでは食えぬであろうが」
「? どうして? 剥けばいいだろ?」
言うや否や、別の皿にあった皮付きの栗を丸ごと口に抛り込む。呆気にとられる一同を後目に、烈火は事も無げに顎を動かしたかと思うと、
「ほらな」
鮮やかに皮だけを吐き出した。
満座が静まり返る。
一体どうすれば、そんな器用な芸当ができるのだ? いや、そもそも栗とはそういう食べ方をするものではあるまい?
「どうしたんだ、みんな?」
困ったことに当の本人には全く自覚がない。
「遼…、お前いつもそういう食生活してるのか?」
天空が頬を引きつらせて問うと、烈火は不思議そうに頷いた。
ともあれ一旦手に取ったものは腹に入れるきまりだ。投げ出したくなるのをぐっと堪えて栗を剥いた。結構手間のかかる作業だ。もたついている間に大分水をあけられてしまった。
「螺呪羅殿、頑張ってくださいませ!」
迦遊羅が握り拳を作って声援を寄越す。
「状況は?」
「烈火殿が三十三個、光輪殿が三十一個、金剛殿は三十八個で天空殿が三十九個です。螺呪羅殿はまだ三十個、残り時間は二十分を切りましたわ」
申し分のない見事な報告だ。思わず満悦しそうになり、慌てて周囲を見渡した。
「くっそ〜、当麻にだけは負けねェ!」
「ふっ、食い倒れの街で鍛えた胃袋、簡単には敗れんぞ」
「どうでも良いがちゃんと噛まんか、貴様ら」
「伸、この団子、余ったら持って帰っていいか?」
「いいよ。って言うか、君の作った分は全部テイクアウトしてもらうから」
莫迦莫迦しい。実に無意味な戦いだ。勝ったところで何の足しにも自慢にもならぬ。
さりとて負けるのはもっと情けない。
迦遊羅が懸命にこちらを見ている。この際、魔将としての矜持はかなぐり捨てるか。
俺は一気に数個の団子をひっ掴み、口に押し込んだ。そのままろくに咀嚼もせず飲み下す。
「わ、スゴイ…!」
妙な視線を感じるが構わぬことにする。
俺の行動に触発されたのか、他の四人も追い込み体勢に入った。
烟るような月明かりの下、一心不乱に団子をがっつく五人の男。もはや怪奇現象だ。
喉につっかえる団子を次の団子で無理矢理流し込む。息が苦しい。目の前が段々暗くなってきた。
不意に、舌を灼くような刺激が口内に広がった。
何だ、これは?
強いて言えば「辛い」という感覚に近いが、そんな生易しいものではない。全身の毛穴が縮み上がり、己の意志とは関係なしに片方だけしかない眼から涙が溢れてくる。
「どうなさいました、螺呪羅殿?」
迦遊羅が悲鳴のような声を上げた。
何か答えねばと思うのだが、血液が逆流してうまく口が動かない。
「あっ、もしかして!!」
純がしまったという表情をひらめかせた。
「大当たりを食べちゃった?」
「大当たり?」
「うん、一個だけ作ったんだ。タバスコとマスタードの激辛味のやつ」
「純、何てことを!」
「すみませぬ。実は……わたしも手伝いました…」
「え?」
「わさびと唐辛子と山椒を少し…」
立ちすくむ迦遊羅。かすかに震えている。
案ずるな。たかがこれしきのことで…、…で………
激しい耳鳴りの中、橙色の鬼火が走った。それきり何も判らなくなった。
「阿呆か、おぬしは」
開口一番、那唖挫が冷ややかに言い放った。
「返す言葉もない…」
俺は横になったまま、むかむかする胸の辺りを押さえた。
「申し訳ありませぬ、螺呪羅殿」
迦遊羅が半泣きで深々と頭を下げた。
「ぼく、ほんのイタズラのつもりだったんだ。ホントにごめんなさいっ!」
純もすっかりしおれている。
「もうよい。俺もむきになりすぎた」
掠れた声でなるべく優しく言った。実際、腹は立っていなかった。
「まったくだ。おぬしは元々食が細い方であろう。己の体ぐらい把握しておけ」
それに引き替え那唖挫は手厳しい。
「やろうって言ったのは僕らなんだ。そこまで言わなくても…」
水滸が弁護するも、聞き入れる様子はない。
「食べ過ぎが原因で死に至ることもあるのだぞ」
「げっ、そうなのか!?」
金剛達が顔を見合わせ、一斉に青ざめる。
「ごく稀に、だがな」
那唖挫は憮然と診療鞄を閉じた。
「ごめんなさい。頃合いを見て止めるつもりだったんだけど…」
「まさかぶっ倒れるまで我慢するとは思わなかった。すまん」
ナスティと天空が面目なさそうに謝った。
「もう良いと言うに。こちらこそ馳走になっておきながら、面倒をかけてすまなかった」
これ以上宴の場を白けさせるに忍びないので、早々に辞去することにする。
腹はまだ重いが動けぬことはない。那唖挫の肩を借りて立ち上がると、反対側の腕を迦遊羅が支えてくれた。
「これ、よかったらみんなで食べて」
ナスティが風呂敷包みをくれる。中身はきっと団子だと考えると目眩がしたが、朱天と悪奴弥守は喜ぶだろう。礼を言って受け取り、屋敷を出た。
「とんだ誕生祝いになってしまいましたわね」
迦遊羅が力無く笑う。
「ああ。金剛には済まぬことをした」
「螺呪羅殿にもですよ。生まれは仲秋の月の頃だとおっしゃっておられたでしょう?」
そんなことを言っただろうか。
「おぬし、忘れておったのか?」
那唖挫がため息をつく。
「妖邪界と人界では時間の流れがずれておる。仕方あるまい」
阿羅醐の呪縛が解けてから差異はほぼなくなったが、妖邪の時間が止まっていることに変わりはない。正直、自分が何年生きているのか定かでないし、興味もない。
「迦遊羅、もしかしてそのために?」
迦遊羅はにこりと微笑んだ。
この娘は苛酷な運命に歪められることなく、人であろうと努めている。どれほど人らしく振る舞おうと所詮は部外者にしかなれぬのに。愚かしいほどの気高さだと思う。
「螺呪羅殿こそ、わたしのために頑張ってくださったのでしょう?」
「負けてしもうたがな」
俺は素直に悔しい顔をした。
それから、隣で那唖挫が忍び笑いを漏らすのを睨みつけつつ尋ねてみた。
「…楽しかったか?」
「はい!」
歯切れの良い返事。
「そうか。ではお前の誕生日にも皆を呼んで祝おう。ただし食い比べはなしだぞ」
迦遊羅が歓声を上げる。年相応の無邪気な反応に、こちらまで頬が綻んでしまう。
「甘い兄上殿だ」
茶化す那唖挫だが、頭の中では誕生会の段取りを考えているに違いない。
人界の者達との関わりがいつまで続くかは解らぬ。だがこれから、この娘の生まれた日は必ず祝ってやろう。ありったけの方法で労ってやろう。
そう決めると、色のない日々に小さな明かりが点ったような気がした。
【終わり】
■泉 鏡一
一応魔将好きとして誕生日は押さえておくべきだろうと二時間で書き上げた代物に、しーさんが直しを入れてくれました。ラジさんは多分こんな人ではありません。
ちなみに団子バトルは基になった実話があります。団子でなく餃子でしたが、本当に蛍光オレンジの火の玉が見えました…。
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