●序章


 春の夕暮れ時。
 海の見える自宅の前に車を止めると、ナスティはショルダーバッグを肩に掛け、買い物袋を抱いて降り立った。
 ポストを覗くと一枚の葉書が届いていた。差出人は征士だ。流れるように美しい、しかし、しっかりとした毛筆でしたためられている。

『お元気ですか。連休に皆で訪ねます。よろしく。』

 無駄のない文面はいかにも征士らしく、ナスティは目を細めて微笑むと、葉書を大切そうにバッグへしまった。
 家に入ろうとしてふと足を止め、西の空を仰いだ。
 紅い紅い、燃えているようなあかね雲。
 ナスティはその色に忘れられない記憶が蘇り、切なさに胸を締めつけられた。夕焼けを見つめるナスティの頭上を、二羽の鷺が飛んで行った。
 ――夫婦だろうか
 そんなことを思いながら、遠ざかるふたつの影を目で追った。
 ――あの人も、いつかこんな夕暮れ時に同じことを言っていたっけ…
 ナスティの耳の奥に懐かしい声が蘇り、まるですぐ隣で語っているように聞こえてくる。

『鷺か。夫婦(めおと)であろうな。あのように広い空に生きながら、添うものは互いと決めている。なんと睦まやかで美しいことか…』

 あの日もこんなあかねの空だった。
 いとおしむような瞳をして鷺を見送るあの人の横顔を、ぼんやりと見ていた自分。
 風にたなびく長い髪。その髪が波のように揺れる広い肩、広い背中。見るべきものをまっすぐに見つめる涼しげな瞳。
 毅然としていながらもなぜか儚く見えるその姿に、心の中で問いかけてみた。

 ――何を想ってそんな遠い瞳をしているの?  朱天 ―――




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