子ども生活塾開塾にあたり考えたこと
-
創造活動や知的探求を重視しよう。
-
教育内容の面では,古い古典的な文芸や知識の習得よりも,創造活動や知的探求を重視します。
教育や学問は,実学であるべきとの考えに賛同できませんが,一人ひとりが目的意識か,動機付け(やる気)かをもたなければ,
みずから進んで創造活動や知的探求をおこなうことを考えられません。
人間が動物(生物)として生きていく上で必要なものを求めたとき,目的意識か,動機付けを感じ取ります。
そのため,日常生活に必要なものを題材にした体験学習を重視します。
当然に子ども主体で,子どもが持っている失敗する権利も認めてあげながら,さまざまな困難を克服するなかから
自らの要求を起こさせ,「問題を発見する能力」,「課題の解決策を策定する能力」,「解決策を実行に移す能力」,
そして,「これらを自己評価する能力」を身に付けられるようにします。
一方において,正しい日本語の習得は,日本人として,また,国際人として欠くべからざることです。
体験重視の今までのいわゆるフリースクール,自由学校などにおいては,この点を軽視してきたきらいを感じます。
知識の習得を目的としませんが,我が国に古くからある物語を「おはなし」を各地の図書館でおこなわれているごとく
とりいれることによって
この点を補おうと考えています。
おはなしの効能はまた改めて説明します。
- 「おはなし」をしよう
-
読んで字のごとく話をすることです。各地の図書館を中心にお話会を開いていますので
実際に見て見られることをお勧めします。
ただ,おはなしとは,本を読み聞かせることでも,紙芝居のように本の絵を見せながら読みすすめることでもありません。
まさに話し手が,聞き手に向って語りかけるのです。
聞き手は,語り手の言葉だけを頼りに,自らの体験(経験)を駆使し,そこに想像力を働かせ,頭の中で物語を構成していきます。
この想像力がおはなしの魅力です。
通常お話会は,一人の話し手に対して,十数人の聞き手となります。
ところが,この聞き手一人ひとりが作り上げる想像の世界はまったく異なります。
たとえば,犬を例にとりましょう。犬といっても,白,黒,茶色,大きいのも,小さいのもいます。
十数通りの犬が,それぞれの聞き手の頭の中で物語の進行にしたがって,はしゃぎまわり,飛び跳ね,寝転びます。
なかには,自らが犬となる子もいるでしょう。
いっしょに川で泳ぎだしたり,ほえたり,尻尾を振ったりしています。
テレビの発達は,視覚に訴えた効果的な情報を私たちに提供してくれます。
しかし,それは,一通りの物の見方しか許してくれません。
むろん,冷静に物事を見る力を養ってきた人なら別ですが,子どもたちにとって,想像力を働かす機会を減少させ
単純化したもののとらえかたしかできなくなる恐れを持っています。
この傾向は,紙芝居,漫画にもあります。これをもって,テレビ,紙芝居,漫画を排除するつもりはありませんが,
自ら考える力を養う観点からは,おはなしの方に軍配を上げることになると考えます。
さらに,もう一点挙げるならば,多くのお話会では,昔話を題材にしています。
昔話は,まさに,文字による伝達手段をもたない時代から人々に伝わってきた文章によって構成されています。
その結果,非常にわかりやすく要点を得たつくりとなっています。また,無味乾燥な話は,伝わるはずなどありませんから
面白さを内在させています。
物語が持っているこの条件は,自らの意思を人に伝えるためにもっとも必要なことです。
この点からも,小さいときから,お話に接しておくことの有効性を理解していただけると思います。
- 子どもたちをみとめよう。
-
こどもたちは,自分が敬愛する両親,また,教師やその他の周りのから
「勉強ができて明るくがんばる子」という理想を強いられています。
しかも,どんなに努力しても「よくできた。もうよい。」と認めてもらえません。
際限なく,さらに一段高い要求を突きつけられ,下に落ちないように言われつづけます。
子どもの内面では,要求にこたえきれない自己にたいし,否定的な感情が膨らんでいきます。
自らを愛せないのです。
自らを愛せない人が,どうして他人を思いやれるでしょうか。
他人を思いやれない人間同士でどうして円満な,まともな社会を運営していくことができるでしょうか。
子どもの心から「自分はダメなんだ。」という自己否定の感情,絶望感,罪の意識,挫折感を取り戻さないといけません。
子どもの人権条約(児童人権条約)というものがあります。ここにさまざまな権利をうたっています。
子どもたちにこれらの権利のなかで何がほしいかと尋ねると「休息,余暇を得る権利」をもっとも多くあげます。
いつもいつも「はやくしろ,はやくしろ」と言われつづけ,かつ,その成果を認めてもらえない子どもたち。
「よくやった。」「今の君のままでいいんだ。」「今の君だからいいんだ。」そう答えてあげることが,
大人の役目ではないでしょうか。
子どもたちが,自らを肯定的にとらえなおせるように,一人ひとりを認めることからはじめましょう。
- 自由はつらいことです。
-
自由は,つらいことです。
保障がまったくありません。
すべて自己責任です。
自由なのびのびとした環境で,自己の能力を思う存分発揮させようとすればするほど,
現実の社会と矛盾してしまいます。
新たな分野で自らを挑戦しようと思っていても,すでに先人がおり,次順位者は常に
組織か制度の一部となります。ただし,専門的に分業化され,高度に発達した産業社会では,人間は,この社会のいずれかに
組み込んでもらえれば,生活していく保障を与えらるとされてきています。
この産業社会に入れば,苦労を少なくして生きていけます。
これも大事な選択枝です。
実際に,子ども生活塾をおこなう当地区内においても,大方の保護者は,現在ある制度による保障に,
我が子を託そうとしています。
今回提供するプログラム(子ども生活塾)は,産業社会だけではない別の社会でも生きられる人間作り,
新しい社会を作り上げる能力をもつ人間作りに向いています。
起業家,芸術家,経営者,科学者などになりやすいプログラムです。
創造性に満ち溢れ,自由を味わえる人間になれます。
自ら問題点を見つけ,解決策をねりあげ,実行する人生をおくれます。
親として,
子どもたちにどちらの人生を歩ませることも愛情です。
当地区,立山町東谷地区自治振興会は,このそれぞれの選択を尊重し,支援しています。
ところで自由に責任はつきものであるといいます。
しかし,「子どもは自由を行使する権利を持っている。責任をとる義務はない。大人のみが責任を取る。」
と,考えています。
子どもには,失敗する権利があるのです。
この失敗が成長の糧なのです。
子どもは成長する権利を持っています。
成長する権利を保障されるためには,失敗する権利を保障されていなければなりません。
失敗する権利が認められないと自由も行使できません。
失敗と自由は分割できません。
- 我が国の公立学校における自由な学校
-
全国すべての小学校と同じように,文部科学省の学習指導要領をはじめとする各種の法令に基づき運営されています。
この大原則は,今後もかわりません。
ただし,これも文部科学省が推奨してきているように,立山町立谷口小学校は,地域との連携を密にし,
その要望を学校運営に取り入れてきました。
さらに幸いなことに,豊かな自然をまわりに残している地に設立されています。
文部科学省は,生きる力を養うために自然体験,生活体験を呼びかけてきました。
立山町立谷口小学校は,文部省(当時)が呼びかける前から,地域の要望と自然環境に着目して,自然体験,生活体験
を実施してきました。
そして,わたしたちは,これらの体験をもっと広く多くの人々に味わってほしいと思いました。
そのようなおり,平成11年に,立山町立谷口公民館は,他の地区,他市,他県の人々を当地に呼んで
たてやま子ども長期自然体験村を実施しました。
この経緯を踏まえ,立山町立谷口公民館が,主体となり,学校外の活動も加味させた地域の総合的な力を持って
体験活動を基礎に,「問題を発見する能力」,「課題の解決策を策定する能力」,「解決策を実行に移す能力」,
そして,「これらを自己評価する能力」を身に付けられる教育プログラムを実施します。
- 特別な学校ではない学校
- 私たちは,不登校児,登校拒否児,いじめられっ子などを対象とした学校を
作る意思はありません。立山町立谷口小学校は,正規の公立学校であり,セカンドスクールでもありません。
当然,たまたま,そのような子らが来ても拒否はしませんが,積極的に受け入れる考えはありません。
なぜならば,不登校児,登校拒否児には,専門家の助言,指導が必要ですが,当地区にこの体制を整えていないからです。
一人ひとりの人生に責任を持った教育をおこなおうとする私たちは,安易な受け入れをいたしません。
- 自己決定を優先させよう。
- 自由とは,自己決定できることです。
大人は,子どもたちが安心して自己決定できる環境を整えようと考えます。