法要に参りますと、ご膳におよばれさせていただきます。 報恩講のお斉にしても、法事のご膳(これもお斉なんですけれども)にしても、やはり インドでは合掌してご挨拶されますが、 お斉をいただく時、それは食べ物に恵まれた時。浄土真宗の食前の言葉に 影現寺だより2000年10月号より |
三蔵法師は1人じゃない(伝えて行く事) ケーブルテレビで懐かしい番組を観ました。 さて、多くの方は「三蔵法師」というと、この物語を思い出すでしょう。 「三蔵」というのは文字通り三つの蔵(サンスクリット語のピタカの訳で結集という意味がある)で、 経蔵……お釈迦様の教えであるお経の文献 を、指します。 例えば浄土真宗の三部経の1つ、皆さんがお持ちの経本にも載っていると思いますが『仏説阿弥陀経』というお経があります。 玄奘にしても、今のようなたびでインドまで行ったわけではないでしょう。文字通り命がけの…生涯をかけたと言ってもいい、そんな決意で旅立ったはずです。 日本のお釈迦様と言われるのは聖徳太子ですが、そのずっと後、日本に佛教を広めようと中国からいらしゃった鑑真というお坊さんにしても、何度も日本を目指してくださいましたが、やっと日本の土を踏まれた頃には失明なさっていたそうです。 沢山のお坊さんが命がけで伝えてくださいました。 影現寺だより2000年6月号より |
か、なにするもんけ?(お袈裟の話) これまで前住職や住職が気に入って身につけていた七条袈裟が古くなって、布が傷み、修理に出さなければならなくなりました。 出来りましたので、祠堂を下さったお宅の皆さんに、月忌参りの際にお見せしています。 七条袈裟は、一番の正装です。 お坊さんが報恩講やお葬式等で、衣が見えないくらいに身体に巻いている布。あれを、七条袈裟と言います。 お釈迦様の頃の出家者の服装が元になっているのですが、それは「糞掃衣(ふんぞうえ)」と言いました。 「あれ〜?パッチワークになってるんだねぇ」 そしてご門徒の皆さんの「式章」は、袈裟をモデルに作られたもの。 影現寺だより2000年5月号より |
「おねえちゃん、いつも『影現寺だより』大変だねぇ。読ませってもらってるよ。ためになるねぇ〜」(このHPは門徒さんに配布している寺報を載せています) 「門徒もの知らず」という言葉があります。なんだか馬鹿にされているような気になるかもしれませんが、そうではありません。真宗門徒があるべき姿をいうものなのです。 このようなことに惑わされず、物忌みをしないということで、浄土真宗の門徒は「門徒もの知らず」と言われるのです。なにも、無知だということではないのです。物忌みが関係ないことを知っているのですから、「門徒物忌み知らず」という意味なのです。 私の友人が門徒さんにお仏壇のお飾りについて質問されて答えた時、その場では 体のことはお医者さん、法律のことは弁護士さん…それぞれ専門的に詳しい方のところへご相談に行かれますよね。同じようにお寺さんに聞かれるのが、一番よいのです。 「門徒もの知らず」で結構じゃありませんか。惑わされない私でありたいものです。 影現寺だより2000年3月号より |
ある門徒さんのお宅で、おじいちゃんが亡くなった時のお話をうかがいました。 この門徒さんの場合は一膳飯でした。枕飯とも言うようですが、亡くなるとご飯を一膳、亡き人の側にその人が使っていた茶碗で供えるのだそうです。 「一膳飯」というのは、亡き人の最後の食事で、地方によっては出棺の際に また、あの世へ旅立つ前の腹ごしらえだという話もあるようです。 日本人はどちらかというと自分の宗教の作法やしきたりやお坊さんの言葉より、迷信や習慣や周囲の言葉を重要視する傾向があるように思えます。残念なことです。 また、葬儀や法要に出かけられた時は、たとえ親切のつもりであっても自分たちの習慣を押しつけたりせず、心静かに手を合わせ、亡き人を思い、お念仏していただきたいと思うのです。 影現寺だより2000年1月号より |