2000年 10月 いただきます 3月 門徒もの知らず
6月 三蔵法師は 1人じゃない〜伝えていくこと〜 1月 一膳飯
5月 か、なにするもんけ?〜お袈裟について〜    

 

 

いただきます

 法要に参りますと、ご膳におよばれさせていただきます。
 おめでたい法要というのもあるのですが、一般に身近に思い浮かぶのが、何回忌かの法事だと思います。
 そんな時に、最初のビールやお茶、ジュースなどの飲み物がつがれますと、思わず
「かんぱ〜い!」
なんて言いたくなる方がいらっしゃるようです。
「乾杯……で、いいんでしょうか?」と聞かれる方もありますけれども。
 ひどい時は、黙って先に食べ始める方もいらっしゃいます。

 報恩講のお斉にしても、法事のご膳(これもお斉なんですけれども)にしても、やはり
「いただきます」
と言って、食べていただきたいものですね。
 うちの父(住職)は、飲み物が皆様に行き渡ったのを見計らってから
「いただきます」
と大声で(皆様に聞こえるように)申します。すると、皆様も、
「ああ、いただきますでいいんだな」
と、合掌なさいます。

 インドでは合掌してご挨拶されますが、
「貴方に敵意はありませんよ」という意味からきた姿だと聞いたことがあります。敵意がないと言うことは、味方という事でしょうか。
 親しみと、礼儀が込められた姿です。
 阿弥陀様の前で合掌する姿は「堅実心合掌」と言って、「阿弥陀様を信じる心に嘘はありません」ということの表れです。もっと親しみを込めたふうに言うなら、「阿弥陀様、ありがとうございます」という感謝の姿なのです。

 お斉をいただく時、それは食べ物に恵まれた時。浄土真宗の食前の言葉に
「み仏と皆様のおかげにより、このご馳走を恵まれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。」
と、あります。
 今時は、1周忌などからは精進料理ではなく魚なども出されるようになってきましたが
(余談ですが、父が幼い頃、ここら辺りでは、親鸞聖人の祥月命日は魚屋が休みだったらしいです。開けていても、売れなかったのだそうです。熱心な方が沢山いらっしゃったんですね)、亡くなった人(命)を思って集まった法要…もちろん亡き人を拝むわけではありませんが…なのですから、その食事にも感謝の心を持って欲しいものです。
 また、食材となった命だけのことではありません。私の口に入るまでには、いろいろなご縁があったはずです。
 普段は深く考えることもないかもしれません。ですが、宴会ではなくお斉なのですから、
「いただきます」
と、このご縁に合わせてくださった阿弥陀様、亡き人、食事に対する「ありがとう」を言って欲しいのです。

影現寺だより2000年10月号より

 

三蔵法師は1人じゃない(伝えて行く事)

 ケーブルテレビで懐かしい番組を観ました。
 夏目雅子さんや堺正章さんが出演していた『西遊記』というドラマで、お坊さんが弟子の妖怪3人(匹?)と、天竺へ有り難いお経を取りに行くという、冒険旅行の話です。
 幼い頃、楽しみにしていたのを覚えています。
 有名な物語ですし、ご記憶の方もいらっしゃるでしょうか。

 さて、多くの方は「三蔵法師」というと、この物語を思い出すでしょう。
 しかし、お坊さんの名は三蔵法師ではありません。玄奘(げんじょう)という名なのです。

 「三蔵」というのは文字通り三つの(サンスクリット語のピタカの訳で結集という意味がある)で、

 経蔵……お釈迦様の教えであるお経の文献
 律蔵……戒律の文献
 論蔵……お経(教説)をさらに発展させ論議解釈したた文献

を、指します。
 中国ではこの三蔵に通じた優れたお坊さんのことを「三蔵法師」と呼び、『西遊記』の玄奘だけでなく、五百余人もいらっしゃるのです。

 例えば浄土真宗の三部経の1つ、皆さんがお持ちの経本にも載っていると思いますが『仏説阿弥陀経』というお経があります。
 これを漢訳されたのは「姚秦の三蔵法師鳩摩羅什」といって、語学に優れていて、亡くなるまでに三百余巻のお経を漢訳されたという方です。

 玄奘にしても、今のようなたびでインドまで行ったわけではないでしょう。文字通り命がけの…生涯をかけたと言ってもいい、そんな決意で旅立ったはずです。
 治安も悪ければ道も悪い。物語のように妖怪変化は出なくても、盗賊が沢山いたことでしょう。物だけでなく、命だってとられるかもしれないのです。無事に行けるのか、そして帰って来れるのか…そんな旅だったのではないでしょうか。
 インドへ行き、勉強し、沢山の写本を持ち帰って漢訳されたわけですが、このようなご苦労をなさったのは、玄奘だけではないはずです。

 日本のお釈迦様と言われるのは聖徳太子ですが、そのずっと後、日本に佛教を広めようと中国からいらしゃった鑑真というお坊さんにしても、何度も日本を目指してくださいましたが、やっと日本の土を踏まれた頃には失明なさっていたそうです。
 その時代の船といったら、どの程度のものだったのでしょう……現代の船でかえ、揺れるだの船酔いだのと文句が出るのに……

 沢山のお坊さんが命がけで伝えてくださいました。
 そして私に……ご先祖やご両親、お坊さんや念仏のお仲間などから、初参式やお寺の行事をはじめとする仏事や生活を通して、手を合わせることを伝えられてきました。
 今度は私達が伝えていく番です。

影現寺だより2000年6月号より

 

か、なにするもんけ?(お袈裟の話)

 これまで前住職や住職が気に入って身につけていた七条袈裟が古くなって、布が傷み、修理に出さなければならなくなりました。
 そこで、ご門徒の皆様が納めて下さった
祠堂(しどう:本堂や仏具等の為に使ってください……という懇志)で、修理する他にもう一つ新調することにしました。

 出来りましたので、祠堂を下さったお宅の皆さんに、月忌参りの際にお見せしています。
「この間の、おばあちゃんのお葬式の時にいただいた祠堂で作ったんですよ。おばあちゃんの法名も入れてありますから、手にとって見てくださいね」
普段、間近で見る機会のないものですから、興味深げにご覧になられます。喜んでくださり、中にはカメラを持ち出す方もいらっしゃるほどです。と、
「で、これちゃ、何するもんけ?」(それで、これは何をするものですか)
……そうですよね……普段見るときは身につけているので、四角い布だとは思わないのでしょう。お坊さんが身体にグルッと巻いていますから。

 七条袈裟は、一番の正装です。 お坊さんが報恩講やお葬式等で、衣が見えないくらいに身体に巻いている布。あれを、七条袈裟と言います。

 お釈迦様の頃の出家者の服装が元になっているのですが、それは「糞掃衣(ふんぞうえ)」と言いました。
 出家するということは基本的に財産が何もないわけですから、着る物だって買うわけにはいきませんよね。
ボロボロになるまで使い古した汚い布を拾い集めて繋ぎ、壊色(えじき)という色に染めなおしたものが、今の袈裟のもとなのです。
 この色を梵語では
「カサーヤ」と言い、袈裟の語源なのだそうです。
 古代インドでは、この袈裟1枚。しかし、中央アジアや中国では寒さをしのげないというので、伝わってくる間に今のように着物の上に着るようになったのです。 そして七条袈裟を用途に合わせて簡略化されてきたものが、大きな布を肩から吊ったような五条袈裟(法事等でよく見られるでしょう)や、皆様が馴染み深い首から下げる輪袈裟(畳袈裟とも言い、広げると五条袈裟の形になる)なのです。

「あれ〜?パッチワークになってるんだねぇ」
 パッチワークと言われたのは初めてでしたが……そうなのです。
 今でこそきらびやかな布で作られていますが、元々ボロ布を繋ぎ合わせたものでしたから、現在の袈裟も高度な技術で柄合わせはしてあるものの、沢山の布を繋ぎ合わせて作られています。

 そしてご門徒の皆さんの「式章」は、袈裟をモデルに作られたもの。
 (以前にも書きましたが……)お仏壇の中に眠っていませんか?
 
お坊さんがお参りする時に袈裟をつけるように、皆様もちゃんと式章をかけて手を合わせていただきたいものだと思います。

影現寺だより2000年5月号より

 

門徒もの知らず

「おねえちゃん、いつも『影現寺だより』大変だねぇ。読ませってもらってるよ。ためになるねぇ〜」(このHPは門徒さんに配布している寺報を載せています)
なんて褒められると照れてしまいますが、皆さん本当に読んでくださってますか。そして、役立ててくださっているでしょうか。
 何故こんなことを言うかといえば、これまで書いてきたことが実践されていなかったり、書いてきたことを初めてのように質問されたりするからです。 勿論、長年習慣にしてきたことについて指摘されても、1度読んだくらいじゃ頭に入らないのかもしれません。今まで常識だと思ってきたことを否定されても、習慣は根強いものですし、それは仕方のないことかもしれません。
 しかし中には、これまでの影現寺だよりを綴っていらっしゃって、
「1回じゃ忘れてしまうから」
と、暇を見つけては読み返すという熱心な方もいらっしゃいますけども。

 「門徒もの知らず」という言葉があります。なんだか馬鹿にされているような気になるかもしれませんが、そうではありません。真宗門徒があるべき姿をいうものなのです。
 物知りを自負する人は、確かに何かにつけてお詳しいでしょう。葬式や法事は友引きにやってはいけないとか、お葬式の後は塩をかけてから家に入るのだとか(漬物じゃないんだから……)、お葬式でもらった花をお仏壇に飾ると先祖が気を悪くするとか……
 
『戒禁取見』(かいこんしゅけん)という言葉があります。『戒禁』とは仏教以外の外道がたてた戒律のことで、それを喜ぶ人をさして『戒禁取見』というのです。
 自分は違うと思うでしょ?ところがドッコイ……上に書いたことを実践していることも、カレンダーにある日の吉凶に惑わされることも、交通安全のお札をつけていても交通事故はおきてしまうんだけど、やっぱりお札をつけていることも、周囲の言葉に惑わされて迷信を重んじ、自分の宗教の教えやしきたりに耳を貸さないことも……心当たりはないですか。そういう姿のことをいうのです。

 このようなことに惑わされず、物忌みをしないということで、浄土真宗の門徒は「門徒もの知らず」と言われるのです。なにも、無知だということではないのです。物忌みが関係ないことを知っているのですから、「門徒物忌み知らず」という意味なのです。

 私の友人が門徒さんにお仏壇のお飾りについて質問されて答えた時、その場では
「わかりました」
とおっしゃったのに、次にお参りに伺った時はもとのまま(間違った状態のまま)だったそうです。
 そこで
「どうしたんですか」
と聞くと、
「皆さんが、やっぱりこうするものだとおっしゃるもんで……」
という返事が帰ってきたそうです。そこで友人は、こう申し上げたそうです。
「私がお答えしたことより、ご近所さんのおっしゃることを信じられたということでしょうか。子供は他の人の言うことよりも、親の言うことをきくでしょう?阿弥陀様は親様とも言われます。ですから同じように私たちは阿弥陀様のおっしゃることを信じればよいのです。僧侶は阿弥陀様のみ教えをお伝えしているのですから、周囲の言葉に惑わされず、先日私が申し上げたようにして下さればいいのですよ。」

 体のことはお医者さん、法律のことは弁護士さん…それぞれ専門的に詳しい方のところへご相談に行かれますよね。同じようにお寺さんに聞かれるのが、一番よいのです。

 「門徒もの知らず」で結構じゃありませんか。惑わされない私でありたいものです。

影現寺だより2000年3月号より

 

一膳飯

 ある門徒さんのお宅で、おじいちゃんが亡くなった時のお話をうかがいました。
 お葬式を取りしきるということは、悲しみの中にあるご家族にとって、とても大変なことです。全てが初めてである場合もあり、勝手がわからないし、多くの人が集まってらっしゃるし、大切な宗教行事の為、とても気を使います。
 よく、
「こういう場合は、どうしたらいいのでしょう」
と私達に聞かれますので、その都度お答えしますが、それだけでは済みません。いろいろと周囲からも「あ〜でもない、こ〜でもない」と言われるようです。

 この門徒さんの場合は一膳飯でした。枕飯とも言うようですが、亡くなるとご飯を一膳、亡き人の側にその人が使っていた茶碗で供えるのだそうです。
「早くご飯をもってらっしゃい!!」
とおっしゃる方。
「お寺さんは、いらないっておっしゃったんですけど」
「要らないわけがないじゃないか、早く持ってきなさい!」
奥さんはおっかなびっくりで、お参りにいらっしゃった皆さんにご挨拶しながらも、お茶碗を出したり戻したりと、ただでさえ慌しいと言うのに、ほとんどパニック状態です。
 結局、住職が臨終勤行(枕勤め)に到着した時に
「いりません」と言うまで、バタバタしていたそうです。

 「一膳飯」というのは、亡き人の最後の食事で、地方によっては出棺の際に
「貴方の茶碗もご飯も、もうありませんから戻ってこないで下さい」
という意味で、玄関先でお茶碗を割ってしまうそうです。死や死者に対する恐怖でしょうか。
 そのくせ盆になると「ご先祖が帰ってくる」なんて言うのですから、おかしな話です。

 また、あの世へ旅立つ前の腹ごしらえだという話もあるようです。
 浄土真宗ではお浄土へトボトボと旅をしながら往くのではないということはこれまでに書いてきましたね。ですから旅の腹ごしらえなど必要ありません。仏と成った亡き人に、このような食事は必要ではないのです。(お仏飯は意味が違うことは以前ご説明しましたね)

 日本人はどちらかというと自分の宗教の作法やしきたりやお坊さんの言葉より、迷信や習慣や周囲の言葉を重要視する傾向があるように思えます。残念なことです。
 胸を張って自分の宗教が言えますか?中には、
「うちはお西(浄土真宗本願寺派)ですか?お東(真宗大谷派)ですか?」
とおっしゃる方もいらっしゃいます。
 自分の宗教は何か。どんな教えで、どんな作法やしきたりがあるのだろう……?こんな時はご遠慮なく私達お坊さんに聞いてくださって結構なのです。何も、恥かしいことではないのです。

 また、葬儀や法要に出かけられた時は、たとえ親切のつもりであっても自分たちの習慣を押しつけたりせず、心静かに手を合わせ、亡き人を思い、お念仏していただきたいと思うのです。

影現寺だより2000年1月号より