私の友人が門徒さん宅へ月参りに行った時の話です。 門徒さんが、 皆さんは普段、どのように表書きなさっていますか。本当に“御布施”は失礼な言葉でしょうか? 布施はサンスクリット語(古代インド語・梵語)の、ダーナからきていて、「施し」を意味します。 また、“読経料”とか“回向料”というのは、法施に対して代金を払うことになってしまいますから、誤りです。 そして、普段から家族や友達に笑顔で接していることが無畏施ですから、私達は知らないうちに布施をしていたことになります。 「“御布施”は失礼だ」という考え方は、互いに支えあうではなく、「〜してやっている」という解釈からおこった誤解と言えるでしょう。
影現寺だより1998年9月号より |
「法名というのは、死んだ人につける名前のことだ」と思ってらっしゃる方はおられませんか? まず、「死んだ人の名前」だと思ってらっしゃる方、帰敬式はご存知ですか?「ききょうしき」と読み、俗に言う「おかみそり」のことです。 さて、法名と戒名、実はまったく別のものであることをご存知でしょうか。 このような意味合いから、生前にいただくのは真宗門徒として理想の姿といえるでしょう。 最後に……聞いた話ですが、本山参拝のお土産代わりに何度も帰敬式を受式される方(今はコンピュータで管理してるだろうから無理かもしれないですが)が、極まれにいらっしゃるようです。また、観光寺院で戒名をいただいたとか…… 影現寺だより1998年7月号より |
「阿弥陀様にお参りしていますが、まだアリガタイと思えないのですけど……」 私達が知っている阿弥陀様のお姿は、お仏壇にいらっしゃる掛軸やお寺の本堂にいらっしゃる木像のお姿ですね。(ほとんどのお宅が掛軸でしょう)掛軸の裏には「方便法身の尊形―ほうべんほっしんのそんぎょう―」と書かれているのですが、ご覧になったことはありますか?あのお姿は、ただの仏様の絵ということではないのです。 本来、色もなく、形もなく、私達のようなものには推し量れない存在なのが阿弥陀様です。逆に言えば、私達にはかり知ることができるようなら、多くの人々を救い取るようなお力があるとは思えないでしょう。 まず、立っておられる。これは、私達凡夫を今すぐにでも救おうとなさっているお姿です。 このように、ただの仏様の絵と(像)と考えるのではなく、姿形の意味を思いつつ手を合わせれば、阿弥陀様のお心が「ありがたい」と感じられるのではないでしょうか。 ご本尊ではなく、お飾りで考えてみましょう。 生かされていることに気づけば、自然と「ありがたい」と感じられるようになるのではないでしょうか。 影現寺だより1998年6月号より |