本紙(配布している影現寺だより)にて何度かご案内いたしましたのでご存知と思いますが、最近当寺院では手作り教本の会を始めました。 この手作り教本は、祈願の為ではなく、毎日とおつとめに役立てていただく為のものですが、既に皆様は市販の経本をお持ちのことと思います。しかし、それを役立てていらっしゃいますか?お仏壇の中や経卓(お仏壇の前にある経本を置く机:お仏壇ページの荘厳参照)の上に飾っているだけの方はいらっしゃいませんか? 三部経という言葉を耳にしたことはありませんか?これは浄土真宗のみ教えの基である、3つのお経のことです。正依の経典といって、「仏説無量寿経」(大経)・「仏説観無量寿経」(観経)・「仏説阿弥陀経」(小経)を、指します。 経本はただの印刷物でもなければ、読経に使う歌詞カードでもありません。阿弥陀様の願い(誓い)や、お浄土について書かれている仏説そのものであり、信仰の根本である“教えの本”なのです。 ちなみに、「正信偈」は、仏説ではありません。ご存知の方も多いと思いますが、宗祖親鸞聖人が書かれた讃歌です。訳された「しんじんのうた」を読むと、阿弥陀様の素晴しさと、七高僧(聖人が特に素晴しいとされたインド・中国・日本の高僧で本堂向かって左に安置される)のおっしゃったことが書かれています。浄土真宗の教えを要約した、大切なものなのです。 ここまで読んで、お経の大切さをご理解いただけましたでしょうか。これだけ大切なものですから、床の上に放っておいたり、上を跨いだりできませんね。 影現寺だより1997年12月号より |
門徒さんから大変大きな数珠をご寄付いただきました。丸く広げると直系2メートル程もあり、「念仏の輪を大きく」という思いに調度よいと、「是非いただけませんか」とお願いしたものです。銀杏の木で出来ていて、珠には「南無阿弥陀仏」と刻んである、門徒さんの手作りです。(本堂の壁にかけてあります) 房を見る限り浄土宗で使われるもののようです。皆で輪になり、数珠を回しながらお念仏を称えるのです。 数珠は珠が108個あり、2重にして使うものを二連珠と呼びますが、普段には長すぎる為27珠(4分の1)の短念珠が多く使われています。 平素、私は善人であり、正しい考えを持って生活している」と思っていますが、本当にそうでしょうか。心にある言葉の中から選んで言葉にしたり行動したりしているのではないでしょうか。心のままに行動すればどうなるでしょう。恥ずかしいことや悪いことが沢山あるはずです。それを他人に知られないように選んで言葉にし、行動しているのです。それを自分はよく知っているはずなのですが、実際は平生気もつかず善人だと思っています。そんな自分に気づく為のものが、数珠なのです。 親鸞聖人の御和讃(日本語で作られたうた)に、 本願寺第8代蓮如上人は 住 職 影現寺だより1997年11月号より |
報恩講の時期が来ると、どこのお寺さんも、ご門徒の家々とあちこちのお寺を飛び回ります。当寺の住職も、例外ではありません。法事や毎日のお参りも大切なことですが、浄土真宗にとって報恩講は最も大切な仏事なのです。浄土真宗のお寺なら、必ず報恩講をつとめます。 報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日につとめられることから“御正忌”とも呼ばれています。 聖人は弘長2年11月28日(旧暦)に、京都で90歳の生涯を閉じられました。聖人のお徳を偲んで、毎月28日にご門徒が集まってお念仏するようになったのが、始まりです。 現在、ご本山では新暦にあらため、1月9〜16日までつとめられています。 お念仏する私たちにとって、報恩講は何よりのご縁となる法要です。 影現寺だより1997年10月号より |
私が月忌参りに寄せていただくようになって、しばらくたちました。ご門徒の皆さんとお話しする機会も増え、楽しく過ごさせていただいています。 ある時、七日参りにうかがったお宅で、『御文章』の話になりました。 ですが、先に書いたとおり、家族としては亡き人に向かってお参りしたいでしょう。ですかた、私や住職は、お骨の前でもおつとめしてきます。(阿弥陀様のお軸はありますし) でも、亡くなった方はその瞬間、阿弥陀様の「絶対救う」という願いによって既にお浄土に往生されているわけです。 お経と言うのは一般的に考えられているような、悪霊退治だとか、死人を救ってやるといった力があるわけではありません。浄土真宗で用いるお経は、釈尊(お釈迦様)の説法を弟子達が書きまとめたもの(阿弥陀様について)、親鸞聖人が教えを説かれたものです。ですから、おつとめの最中は、釈尊の説法や親鸞聖人の教えをキチンとお聴聞するか、一緒におつとめするのが本来です。 私たちは、亡き人に導かれてお念仏に出会いました。 影現寺だより1997年9月号より |
「ごんげはん、わし、まだ寺に参るにちゃ早すぎっちゃ。ばぁちゃんに任せときゃいいがよ」(ちょっとコテコテ過ぎる富山弁ですが…住職さん、私、まだ寺に参るには早過ぎます。おばあちゃんに任せておけばいいんですよ…という意味です)という言葉を耳にします。残念な事です。 私が小学校の頃、暮らすの男の子に言われた、忘れられない言葉があります。 今にして思えば、彼は本心からそう思っていたのでしょう。家族がお寺にどう接しているか、お寺をどう思っているか、それを見て、感じて、私にストレートにぶつけてきたのだと思うのです。 坊主ボロ儲けかどうかは、また別の機会にお話するとして、お寺参りの話に戻りましょう。 ☆初参式(しょさんしき)
☆成人式
☆結婚式
この他、建築の定礎、起工、上練、落成などにも、阿弥陀様にご報告をして報恩感謝の思いをあらわすお勤めをします。 とはいうものの、先に挙げた”神社への初詣”などの宗教行事は慣習として根強く、 影現寺だより1997年8月号より 勿論、ご門徒さんの中には、初参式にいらっしゃったり、「真宗門徒だから」と宮総代をお断りになったり(これは地域がからむので、大変だった事と思います)、勉強会(連続研修)に参加なさったりと、熱心な方もいらっしゃいます。皆様がここまでの記事を読んで、お寺がどんなところか」ということに興味を持っていただけたら幸いです。 |
昨月15〜16日、当寺において永代経法要がつとまりました。 私達は肉親の死を悼み、年忌法要(法事)をつとめますが、やがてはつとめる側だった私もこの世を去り、お浄土へ参る日がやってきます。 亡き人への思いが込められた法要なわけですが、本当に大切なのは、子々孫々まで御仏のお徳を伝え、皆でお念仏を喜び分かち合っていくことです。 このような意味合いから、当寺では、とくに希望された方だけではなく、門信徒の皆様全員にご案内しています。 影現寺だより1997年7月号(第1号) |