写真は何処へ?

 四十九日(満中陰)の法要が終わりますと、ずっと飾ってあった中陰段は葬儀社さんが片付けていかれます。
「この段がなくなると、ここにあるものはどうしたらいいんでしょうか……」
と、聞かれることがあります。
「そんなことも知らないのか?」
なんておっしゃらないでください。わからないことを聞くことは、なにも恥かしくありませんし、思いこみからの誤解ということもあります。このように聞いてくださると、ないがしろにしていないことがよくわかり、私達も嬉しく思います。

 まず、「お骨」はお墓に納めます。(墓地を探している方や、お墓を建てている最中だという方の場合、うちのお寺でお預かりすることもあります)そして、小さな方のお骨は、大谷本廟に分骨します。
 と、ここまでは皆さんご存知ですが、「白木の法名板」や「写真」が問題のようです。
 うちの場合、「法名板」は「お骨」の木箱やカバーとまとめて寺に持ち帰って処分しています。

 ところで、皆さん「写真」はどうなさっていますか。
 大きいものは仏間の上の方に揚げてあるのが一般的なようですけれど、問題は場所です。
 
お仏壇の上の方に飾ってらっしゃるお宅もあるようですが、阿弥陀様へのお敬いの意味から、その場所は避けていただきたいものです。
 最近ではもう一つ、小さな写真もありますが、これはお仏壇の中にドーンと飾ってらっしゃるお宅が多いようです。しかし、お仏壇は阿弥陀様のお家。お浄土を表現したものです。中に飾るのは、仏具だけです。
 日本では人の写真を部屋に飾ると言う習慣はあまり無いようです。若い方は子供の写真などを置いていらっしゃる場合もあるようですが、それと同じように居間や寝室などに置いていただけば良いのです。アルバムに貼られても良いでしょう。
 
亡くなった方の写真だからといって、別にお仏壇に飾ると言う事はありません。大切な家族の写真として普通に扱えば良いのです。
 どうしても阿弥陀様の傍に飾りたいというのであれば、お仏壇の中ではなく、横に飾られるのが好ましいといえます。

亡くなった家族のことを思わない方はいらっしゃらないでしょう。でも、お仏壇に写真を入れると、礼拝の対象が写真になりがちではないでしょうか。不必要な水(以前書きましたね)を供えたり、写真の前に遺品を並べて、まるでお仏壇が形見入れのようになってしまったりと、ご本尊である阿弥陀様がそっちのけになってしまうのは困りものです。

 「皆、やってるじゃないか」
とか
「近所の人が言ってたから」
と、思われるかもしれませんが、こればかりは残念なことに「世間の常識」と思われていることが迷信などと混ざって、間違っている(誤解)ことが多いのです。
 とかく人は、他人の言葉に惑わされるものです。人の声に耳を傾けることは大切ですけれども……
 もちろん、思いやりから出た意見もあるでしょうが
「〜してあげなきゃ罰があたる」
だとか
「〜しなかったからご先祖が怒って、悪いことがおきたのだ」
という無責任な言葉には惑わされないで欲しいのです。
 私達衆生を救ってくださる阿弥陀様が……私達を産み育ててくださって、今は仏様となられた皆様が、怒ったり罰をあてたりするのでしょうか。亡くなったお爺さんやお婆さん、お父さんやお母さんは、そんなに意地悪なのでしょうか。
 何が起きても阿弥陀様や亡き人のせいにしてしまえば楽ですが、本当にそうか、考えてみてください。

 以前にも書きましたが、「罰」が当たるとか当たらないとかいうことで手を合わせるのではありません。
 お給仕やお飾りにしても、要は粗末にしないことであり、豪華になんでもかんでも飾り立てて、お仏壇にあれもこれも入れておけば良いというのではありません。
 その意味でも、ちゃんと知っていただいて、お飾りしていただきたいものです。

2000年11月