位牌について

 お仏壇の中に『位牌』を入れてらっしゃるお宅がありますが、結論からいいますと、浄土真宗では用いません。また、阿弥陀様が隠れてしまうように置くなどはもっての外です。
 驚かれましたか?理由を聞けばもっと驚かれるかもしれません。
元来、『位牌』は仏教のしきたりではないのです。何かの本で読んだのですが、お経の中に『位牌』について記されたものは無いのだそうです。モチロン、浄土真宗以外でお勤めされるお経も含まれます。

 では、『位牌』とは……?
 文字通り「位のふだ」で、実は儒教のしきたりなのです。
 儒教は人道の実践を説いているそうです。その中には、亡き先祖に孝養を尽くすことも含まれるわけですが、その実践方法として『位牌』が用いられるのです。
 板に生前の官位や氏名を記し、祖廟に奉り、拝んだりお給仕したりすることが、先祖孝行という意味の作法なのだそうですが……
浄土真宗は『みな平等に阿弥陀様に救われて仏になる』というのに、生前の位や功績を拝むという『位牌』は、教えにそぐわないといえるでしょう。
 『位牌』が日本に伝わって定着し始めたのは鎌倉から江戸の時代頃だそうです。

 現代においては、テレビの影響も強いのではないかと思いますが…時代劇などのドラマでは、ご本尊がいらしゃらなくて『位牌』に拝んだり話し掛けたりしていますよね。演出のひとつなのでしょうが、お仏壇が「位牌入れ」であるようだし、『位牌』に故人の魂が宿っているかのようです。
 お仏壇は阿弥陀様のお家ですし、本来仏教では「霊魂」の存在をいわないので、こういった意味でも『位牌』は仏教にそぐわないのです。
 
みんな仏となっていらっしゃるというのに、生きている私達が板に向かって「位のある霊魂」を拝んでいるのは、妙な話ではないでしょうか。逆にいえば、「位のある霊魂」が『位牌』にいるならば、故人は仏になれなかったことになってしまいます。

 他宗派においては『位牌』を用いているところもありますが、その宗派なりの意味があるのでしょうね……

 浄土真宗が『位牌』を用いないからといって、先祖を敬っていないわけではありません。
 数え切れないほどの先祖がいらっしゃったからこそ、この「私」は命を授かることができ、沢山の人々、ご縁に会えたのですからね。
亡き人を偲んで手を合わせることは、尊いことなのです。

 「法名軸」「過去帳」をご存知でしょうか。
 「法名軸」は法名と命日(後々、誰のものであるかわかるように名前も記すとよい)を書いた掛け軸です。本山から頂いた法名をそのまま表装される場合もありますし、掛け軸を区切って何人分かをひとつの軸に記すこともあります。
 そして、
礼拝対象とならないようにお仏壇の側面に掛けます。(掛け軸の大きさの検討がつくでしょう?)私達と一緒に仏となった亡き人もまた、阿弥陀様に手を合わせていらっしゃると思ってください。
 といってもスペースの関係で、掛けられる数は限られます。いくつもを重ねて掛けるのは好ましいこととはいえません。みっともないですよね。
 古いものから順に「過去帳」に写していくのがよいでしょう。
 
「過去帳」は、先祖代々の記録帳です。普段はお仏壇の引出しなどに入れておいてもよいですが、月命日や祥月命日には取り出して、礼拝対象とならないように中心から少しずらして置きましょう。
 これらは仏具屋に行けば購入できますし、お手継のご住職に相談されるのもようでしょう。

 根拠の無い迷信に惑わされないようにして、お仏壇が先祖の入れ物にならないよう、心がけたいものです。

1999年7月