お仏壇とは?

 「そもそも、お仏壇とはなんですか?」というご質問がありました。 
 仏壇の歴史はとても古く、日本書紀で天武天皇が
「諸国の家毎に仏舎(ほとけのみや)をつくりて、すなはち仏像および経をおき、礼拝供養せよ」と呼びかけられたことが記されているそうです。といっても、実際各家にお仏壇ができたわけではなく、国司の庁舎などで朝夕のお勤めがなされたくらいのものだったといいます。

 浄土真宗においては、親鸞聖人の頃から、お名号を安置して礼拝する習慣があったようです。そして、宗派を問わず、現在のように各家々に普及したのは、江戸時代にキリシタン対策として政府が「宗門改め」によって義務づけてからです。そして、家族の心のよりどころとなってきました。

 歴史はこのくらいにして……一般的にどのように認識されているのか考えてみましょう。
 本家には必ずあるようですが、分家となると、誰かが亡くなるまで
お仏壇を置くはずのスペースが物置と化している場合が少なくないようです。「誰も亡くなっていないのに、お仏壇を置くと不幸がある」という考えの方が多いみたいですね。不幸というのは「誰かが死ぬ」というこのようです。誰も死んでいないのにお仏壇を買うと、お仏壇に入る人がいなくて困るというので、誰かが亡くなる……というのです。
 さて、皆さんはどう思われますか。
 お仏壇は「死人が入るところ」ということなのでしょうか?また、分家にお仏壇があると、先祖が迷うという地方さえあると聞きます。
 いいえ、この考え方は、大きな誤解なのです!
 
お仏壇の『仏』は死人のことではなく、阿弥陀様(南無阿弥陀仏)のことです。そして阿弥陀様の乗っていらっしゃる壇を『須弥壇』(しゅみだん)といい、あわせて『仏壇』。そうです、お仏壇は阿弥陀様のお家なのです。極端な言い方をすれば、阿弥陀様のいらっしゃらないお仏壇は、ただの箱にすぎません。

 私は、大阪と富山の別院におりました。どちらの別院も、ご本山のかわりに阿弥陀様と脇掛け様を取り扱っておりましたので、来院なさる方の中にはご本尊をお迎えにいらっしゃったご門徒さんも少なくありませんでした。気づいたことですが、「お仏壇を買いましたので、仏さんをお願いします」と、おっしゃる方がいらっしゃいます。たしかに、お仏壇を買い求めてから、阿弥陀様をお迎えしますけれども、「お仏壇を買ったから、仏さんを飾らなければ」というのではないのです。「阿弥陀様をお迎えするので、お仏壇を買う」というのが本来でしょう。
 たとえば、家があるから人が住むのではなく、人がいるから住む家が必要になるのではないですか。

 お仏壇は漆や金箔で細工された高価なものが多いですから、容易に買えるものではないでしょう。しかし、「本家にあるから、分家のウチにはらいらない」というものではありません。昔は分家する際に、本家がお仏壇をつけてあげたそうです。(富山だけかもしれないですけれど)
 各家には精神のよりどころとして、仏様がいらっしゃったのです。このような習慣が廃れてしまったのは何故でしょう……
 多くの命によって生かされている……
そして阿弥陀様にお救いいただけるわが身を喜び、み仏、とご縁を下さったご先祖に感謝してお念仏するという尊い生活に、本家・分家・長男・次男の区別などあるはずがないのです。
 阿弥陀様をお迎えできないのには、マンション住まいでスペースが無いとか、経済的な問題とか、いろいろ理由があると思います。ただ、ご縁があったときは、
迷信に惑わされることなく、お迎え頂ければと思います。

1999年6月