2001年 今月の言葉 2月 3月 4月 5月 6月 7月

8月 9月 10月 11月 12月

 

 

仏は 遠い存在でなく
そのまま 近い存在である

 「早くお迎えが来て欲しい」という言葉をよく聞きます。でも、病院へ行くし、自動車が来れば避けます。
 私が死ぬときに、遠いお浄土から阿弥陀様が迎えに来てくださるのだと思っていませんか。
 平安時代にお金持ちは、阿弥陀様の手に五色の糸をつけた来迎図の屏風を作ったそうです。臨終の枕元にその屏風を置き、その五色の糸を手に握って死んで逝きたかったからだそうです。

 このことから2つの事を知ることが出来ます。
 1つは、遠い所からいざという時に迎えに来てくださる阿弥陀様。
 もう一つは、触れるもの・見えるもの・聞こえるもの等と五感で解るものでないと困る。
 今でも平安時代の人と同じように、こんな感覚で阿弥陀様のことを思っている人が沢山いらっしゃいます。

 (うちの寺では)正月にお参りに行った時にお勤めする「現世利益和讃」(げんせりやくわさん)15首の最後の和讃で、

南無阿弥陀仏をとなうれば
十方無量の諸仏は
百重千重圍繞して
(重ねて囲む)
よろこびまもりたまふなり

と、あります。
 これでお解りと思いますが、仏様は近くも近く、私の傍にいらっしゃるのです。いつも一緒の阿弥陀様だから、小さな声でお名前を呼ぶのです。お念仏するのです。勿論、大きな声でも。

 有名なうたに、

われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏
連れて行くぞの 親
(阿弥陀様)の呼び声

と、あります。
 お迎えではなく、一緒にいて、娑婆の縁尽きて力なくして終わるとき彼の土へ連れて行ってくださる阿弥陀様です。
 その阿弥陀様と、もしも握手できたら解りやすく安心できますが、見えるものは必ず壊れます。寿命があります。私を救ってくださる阿弥陀様の寿命が尽きたら、私はどうなるのでしょう。
 ですから無量の阿弥陀様は、見えなくて触れないのが本当なのです。

 「自分の知恵でははかり知ることのできない仏様、そしてその働きを過去から未来までずっとしてくださる阿弥陀様に帰依します」
これが、正信偈の書き出しです。

住  職

2001年2月

 

 

ものはみな うつり変わり
現れては 滅びる

 最近お寺のホームページのお客様に主婦の方が増え、幼い我が子の成長を喜ぶ声を聞く機会が多くなりました。
 その反対に、ここ数年、新聞のお悔やみ欄のスペースは大きくとられるようになり、当寺院の門徒さんでもお葬儀が多くなっています。
 私が幼い頃から、また、お参りに出るようになってから可愛がってくださった皆様に娑婆でお会いできなくなるのは、やはり淋しいものです。

 昨年の暮れに前住職が亡くなりました。
 アルバムを見ているると、当然ながら私の記憶より若い祖父の写真があります。私にとっては私が生まれたときから「おじいちゃん」ですが、祖父だって赤ん坊の頃があり、青年の頃がありました。亡くなる数ヶ月前まで元気に月忌参りにも出ておりました。最初から「おじいちゃん」だったわけではありません。
 当たり前の事ですが、なかなかそのようなことは普段考えないでしょう。

 周囲の子供たちの成長や人の死に接すると、あらためて月日の流れを感じたり、ものはみなうつりかわるのだと痛感したりします。
 この私も娑婆に縁あって現れたのですから、いつかは滅びます。病かもしれません。事故かもしれませんし、老いかもしれません。
 お葬儀で
「お歳だったからねぇ……」
という言葉をよく耳にしますが、私も一寸先の事はわかりませんし、若かろうがなんだろうが明日の保障などないのです。

人間の不安定な姿をつくづく考えてみると、およそ、はかないものとは、はじめから終わりまでの、まぼろしのごとく一生だ……私が先か他人が先か、今日とも明日ともわからない……人間のはかなさは、老いも幼きも定まりのない境遇だから、どんな人もまずもって後生の一大事を心にうけとめ、阿弥陀様におまかせして、念仏すべきである。(白骨の御文章)

と、蓮如上人はおっしゃっています。

 頭では、死に年齢など関係ないとわかっていても、やはり「自分だけはまだそうではない」と思いたいのが私達の心です。
 朝、目が覚める事や、食事ができる事、話せる事……今、自分ができる事は全て「当たり前」と思いがちで、それが「喜び」とはとらえられない自分がいませんか。
「孝行したい時に親はいない」
と申しますが、親が生きてそばにいることが当たり前でなくなった時に、初めて本当の有り難味がわかって、
「もっと孝行すればよかった」
と思うのではないでしょうか。

 うつり変わる中で、いつかはこの手の中の大切なもの(家族や友人など)を全て置いて往かなければなりません。娑婆に永遠にいられるわけではありません。今生きていることは「当たり前」ではないのです。現れては滅びる沢山の命に……心に支えられて当たり前ではなく生かされているのです。

 「うつり変わり現れては滅びる」というあるがままの私に気づいた時、当たり前だと思っていた事が尊く有り難い事であると感じることができるでしょう。
 そんな時間が少しでも欲しい、喜ぶ心を持つ私達でありたいものです。

2001年3月

 

 

はだかにて
 生まれてきたのに 何不足

小林一茶

 学生時代 秋の京都には、あちらこちらに「在釜」の張り紙がありました。大学の茶道部や一般の社中が、お寺や由緒ある家で「茶会を開いております」という案内書です。
 昔の事ですから何処でしたか忘れてしまいましたが、文字を彫った蹲石(つくばいいし)がありました。天保銭の形に「吾 唯 足 知」の文字が彫られています。土産物などにも書かれているので、御存知の方もいらっしゃることでしょう。

 蹲とは「平伏してうずくまる」ことです。
「蹲って謙虚に自分を見つめると、足る知らねばならない」
ということでしょう。
 いくら裸で生まれてきたといっても、着たいものは着たい、より綺麗なものを着たい。食べなければ生きられない、より旨いものを食べたい。いろんなものを持ちたい、持てないくらい沢山のものを持ちたい。この欲望は私だけでしょうか。皆様方はどうですか。
 
自分のこととなると気もつきませんが、おもしろいことに他人様のことはよくわかるものです。
「死んで持って行くこともできないのに」
と、軽蔑していませんか。これが私達の平生です。現実なのです。

 私の子供の頃を思い出しますと、貧乏な時代でした。欲心があってもどうにもならないことが多すぎました。
 年に1〜2度のスキヤキが嬉しかった。美味しかったのを覚えています。中古の革靴を買ってもらったこともありました。最初から尻当てのついたズボンでした。今はどうでしょうか。
 用途によっていろいろな靴がありますね。着るものとなれば尚更沢山。食べ物も種々沢山あります。でも、まだまだ欲しい気持があります。けして満足していません。どこどこまでも欲望は募るばかりです。煩悩を燃やし続けております。
足るを知らないことを 不足
満ちることを知らないことを 不満
平らならざるを 不平

と言います。これらは、貪欲・瞋慧・愚痴三毒の煩悩そのものです。
「はだかにて 生まれてきたのに 何不足」
といわれても、困ったことに死んで持って行けないことを知りながら、らた欲しいのです。ただ一茶の時代と違って、現代には煩悩を燃やす誘惑の多いことは間違いないのですが、生まれがたい人間に生まれて餓鬼道のような時間を多く持って生きていることさえ気付かないなんて残念なことです。

 親鸞聖人の和讃(日本語で書かれた詩)に
阿弥陀様のお気持にお任せしていますが、真実の心はなかなか持てません、実なくして嘘偽りばかりの私ですから 清浄の心もさらにありません
と嘆いていらっしゃいます。やはり煩悩を燃やしながら生きられた親鸞聖人の苦悩の告白です。
 では、聖人はどうなされたのでしょうか。足っていることを忘れていた、満たされいることをよろこべなかった、と気付かれた時、阿弥陀様に懺愧なされ、そんな自分を目当てとしてくださる仏様だから感謝され、また恵まれていることを感謝されたのです。
 その時、子が親を呼ぶように阿弥陀様のお名前を呼ばれました。このことを「念仏する」といいます。

 一茶は「おらが春」という書物に、他力について述べています。
 また、親の白骨を京都まで納めに行かれました。
 ですから、念仏を喜ばれた方だと思います。
 掲示板を書きながら、私も足ることを知る時間を持ちたいと思いました。

住 職

2001年4月

 

 

ひとり子を 一人でおかぬ 親の慈悲

 一蓮員秀存というかたは、岐阜の出身で、後に兵庫の萬福寺(お東)の18世住職となられた人で、各宗の教義を学んだ優れた学者であっただけではなく、生涯聞法に終始された方だったと言われています。

 さて、歎異抄の中に、
阿弥陀様が五劫という長い時間をかけて思惟して建てられた本願をよくよく案じてみると、ただひとえにこの親鸞一人を救うためのご苦労であったのだ。思えばそれほどに深く重い罪業を持っていた私であったのに、助けてやろうと思い立ってくださった本願の、なんとかたじけないことだろうか
という、親鸞聖人がよく語られたというお言葉が記されています。
 もちろんこれは、阿弥陀様の救いのお目当てが親鸞聖人お一人だけであるということではありません。煩悩の炎を燃やす罪業深重のこの私を救わんが為に仏と成られた阿弥陀様ですから、「親鸞一人」はそのまま「私」といただきたいと思います。
 他人の良し悪しは見えやすい私達ですが、残念ながら自分のことは見えにくい私達でもあります。
 そんな眼鏡をかけて生きているのが私たちなのです。
 親鸞聖人は自分を見つめ、この私こそが阿弥陀様のめあてであると気づかれ、喜ばれたのです。

 浄土和讃のなかで親鸞聖人は

南無阿弥陀仏をとなふれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまふなり

煩悩にまなこさへられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわがみをてらすなり

と、おっしゃっています。
 沢山の仏様が何重にも私を囲んでいてくださる。阿弥陀様の光明は、いつも私を照らしていてくださる……ということです。

 阿弥陀様のことを「親様」とも申します。
 親は我が子が心配で、気にかけ、危なければ助けます。
 阿弥陀様は、自分では仏になれない煩悩の炎を燃やさずにはいられない私たちを心配し、助かってくれよ、救うぞ、と、皆を我が子のように照らし守り、包んでくださる。私たちは「仏の子」なのです。

 私たちは家族や友達や、それ以外の多くの命と一緒に助け合いささえあって生きているから、「ひとり」じゃないとお思いかもしれませんが、「貧苦」といって「他人どころか自分のことで精一杯」ということもあるでしょう。
 たまたま縁あって家族となり、友達となっていますが、私の「老・病・死」という苦しみは、誰にもどうすることもできません。「独り生まれ、独り死す」というのが現実です。
 ですから、迷子の幼子と同じように親様を呼ぶ。それが念仏するということです。

 風鈴は風が吹いて初めて良い音がします。同じように、阿弥陀様のお働きがあって初めて念仏ができるのです。
 いつも私と一緒にいてくださる阿弥陀様です。けして独りではなく、「阿弥陀様と一緒にいる私」が、今、家族や友達と一緒に生きているのです。

 

 

頭じゃ わかっているんだが

 これを書いている5月31日は「世界禁煙デー」だそうです。百害あって一利無しといわれるタバコを吸いながら書いています。
 タバコを嫌いになる飴、酒を嫌いになる薬などあるそうですが、今のところ買う気にもなれません。どちらも無いとイライラしてかえってストレスが溜まりそうです。頭じゃわかっているが、難しい事です。

 私達は知識と感情との2つの間で悩んでいます。良い事と悪い事の区別がつく私ですが、いつも良い事ばかりでしょうか。損か得か、誉められるか失笑されるか・怒られるか、上れるか落ちるか等と判断しませんか。

 過日、八名信夫さんのトークショーに行きました。その中で
「テレビ番組の罰ゲームとして人を叩くような番組は、子供に絶対見せないで下さい」
と、気骨のある人らしい話がありまして、また
「近所の子供に怒るのではなくて、叱って下さい」
とも話されました。元野球のピッチャーだったせいでしょうか、硬派的なお話でした。
 でも、なかなか子供の観ているテレビは消せないし、よその子は叱れないですね。本当は叱ってやりたいけれど、親がなんと言うかと思うと、イライラしながら黙っています。私にはそんなことがよくあります。

 10年ほど前ですが、永六輔さんがラヂオ番組で面白いお話をしていらっしゃいました。
 飛行機の中で小さな子供が走りまわっていたそうです。乗客は皆迷惑そうな顔をしていましたが、親は知らん顔。
 するとスチュワーデスの1人が、
「坊や、いらっしゃい」
と、食事ワゴンのある部屋へ呼んでカーテンをひいてから、凄く乱暴な言葉で
「今度走ったら、外へ捨てるぞ!」
と叱って、飴を持たせて席へ帰したそうです。それからその子供は、ジッと座っていたとのこと。
 永さんは
「あのスチュワーデスさん、大好き」
とおっしゃって、その放送は終わりました。

 「注意したら逆に怒られないだろうか」が優先してしまう事が多いですね。最近はウッカリものを言うと殺されることすらあります。
 長い話をしましたが、わかっていても感情が優先してしまう事のなんと多いことか。

 親鸞聖人は感情に流される事を嘆いて、「悲しきかな」と仰っておいでになります。

いつもいつも可愛い欲しいの海に沈み、名聞利養のけわしい山をあえぎあえぎ上り、阿弥陀様の力で次は仏という位にしていただいたこともそれ程有り難いとも思わず、一日一日尾浄土参りに近寄らせていただくことも、うれしいと思わないでいる。よくよく考えてみれば、まことに恥かしいことであり、我ながら傷ましいありさまである  (教行信証)

と、嘆いておいでになります。阿弥陀様の大いなる慈悲心から私が仏にしていただくことを知りながら、この世が良い、離れたくないという感情が優先して「欲も多く怒り腹立ち嫉み妬むこころ多い」生活をしている自分です。
 親鸞聖人は嘆かれましたが、私はどうだろうか。

 昔、流行歌がありました、わかっちゃいるけどやめられない♪の気分で生活しております。
 上りたい、認められたい、誉められたい等の「たいたい」の欲望多い毎日です。
 そう気付く時に「天に恥じ地に恥じ」の意味のある「懺愧」をしたい。誰の前でか?阿弥陀様の前です。
 恥かしいと気付かない私だからこそ、私を仏にしたい一心で傍にいてくださる大慈悲心の阿弥陀様ですから、親鸞聖人は懺愧と感謝をして、また縁のある人、活かしてくれる物に感謝してゆかれたのです。

住 職

2001年6月

 

 

極楽を ねがう心は 更になし
ただ うれしきは 弥陀の名号

 極楽を願うということは、死を願うことと同一ですね。
 仕方なく終わってゆく時は、地獄より極楽の方が良いに決まっていますが、できればこの世にしがみついても居りたい私です。

 この言葉は、明治30年、高山(岐阜県)に生まれた中村久子さんが47才の時、芸小屋巡業中に魚津(富山県)で詠まれたものです。
 中村さんは4才の時、脱疽で四肢を膝・肘からなくした方です。私達の想像も及ばない努力をされ、自分で食事もできる、裁縫もできる、書もできる、すばらしい方でした。
 生活の為、23年間芸小屋で働き、結婚し、二女を育てられました。

 先月14日、私は高山の真蓮寺さんにお邪魔して、沢山残っている遺品を見せていただきましたが、その書の素晴らしいこと……筆さばきなど驚くばかりでした。また、大学ノートにつけられた日記を見ますと、とても口にくわえた万年筆とは思えない筆跡です。裁縫・レース編みなども、既製品と見えるものばかりです。
 私には、「最高の努力者」としか、表現できません。

 41才の時、三重苦といわれたヘレン・ケラー女史と会い、自作の人形を贈られました。その時のことをご本人は
「ケラー女史は私の傍へ歩み寄り、熱い接吻をされた………そして、そっと両手で私の両肩から下へ撫で下ろされる時、袖の中の短い腕先にさわられた刹那、ハッとお顔の動きが変わりました。下半身を撫で下ろされた時、両足が義足とおわかりになった………再び私を抱えて長い間接吻され、両眼から熱い涙を。私は頬を涙にぬらして、女史の左肩にうつ伏しました」
と、後に話していらっしゃいます。

 この頃から親鸞聖人の教えに興味を持ち、歎異抄を読むようになり、沢山の僧侶の話も聞くようになられたそうです。
 歎異抄の中に唯円坊が
「念仏を申し上げておりますけれども、躍り上がるような喜びの心が身に充分には湧いてきません。また、少しでもはやくお浄土に往生したいという心もおこってこないのは、どう考えたらよろしいでしょうか」
と、親鸞聖人に胸のうちを打ち明けたことが書かれています。
 親鸞聖人は、
「実は、私もそうなのです。唯円坊よ、あなたも同じ気持であったのですね………よくよく考えてみると、天に踊り地に躍り上がって喜ぶはずのことが喜べないのは、逆にますます、浄土に往生することが確実であると思う。それは人間が生来持っている煩悩の仕業なのです。阿弥陀仏はそのことをはじめから知っておられて、阿弥陀仏の本願のお救いのお目当ては煩悩いっぱいの私達であったとわからせていただき、ますます阿弥陀仏の誓願がたのもしく思われるのです」
と、述べていらっしゃいます。また、
「ちょっとでも病気になれば、これで終わりでなかろうかと心配で心配でなりません。いかに苦しかろうと辛かろうと、この世から離れることはできません。それこそ、煩悩の為です」
と。

 その煩悩を持ったままの私を仏にしようと阿弥陀様は、仏に成るための「善・徳」が備わった名号(南無阿弥陀仏)を私に下さいます。他人の為にある名号ではないのです。私の為に阿弥陀様が用意してくださった名号なのです。

 中村久子さんは歎異抄を読み、ご法話を聴き、そのことを喜ばれたと思われます。
 善も徳も備わった名号をいただき、往きたくない私こそ、間違いなく極楽浄土へ参ることができる……そのことを喜ばれたのでしょう。

住  職

2001年7月

 

 

念仏して 五欲の暑さ 忘れうぞ

 これは真宗大谷派(お東)の句仏上人のお言葉です。暑さは、耐えがたい辛さととらえることができるでしょう。

 五欲というのは、色欲・物欲・名誉欲・食欲・睡眠欲のことです。
 人としてこの身体をもって生きている限り、この欲も持っています。食べたり眠ったりしなければ死んでしまいますので、これは本能といえるでしょうが、眠い時に眠ることができないのは身体だけでなく精神的にも苦痛なものです。もっとゆっくり眠っていたいと思うこともあります。
 食欲にしても、
「もっと美味しい物を…もっと沢山…」
となっているのが、飽食の現代です。
「昔はこんな贅沢じゃなかったんだよ、今の人は贅沢だね。」
とおっしゃる方もいらっしゃるでしょうね。戦争を経験なさった年代は尚更です。
 しかし、今の人は贅沢だと言いつつも、自分は昔の食べるのにも困る頃に…また、品が少なかった頃の状態に戻れるか、戻りたいか、といえば、そうではないでしょう。
 今年は既に1日の電力消費量が過去最高を記録したというほどの猛暑のせいもあり、昔のようにクーラーの無い生活は考えられません。
 パソコンの普及で、家にいながらにして買い物や情報収集もできるようになりました。
 便利さを知ってしまったら、なかなかもとの生活に戻ることは難しいでしょう。そして、もっともっと……と欲が出ます。もっと良い生活を、もっと沢山の便利な品を買って少しでも楽に、もっと格好の良い服を着て綺麗に、人より偉くなりたい……
 そして、思ったようにならなければ気分が悪い。腹を立てたり愚痴ってみたりもしたくなる。
 欲の苦しみの中でもがいている私達の姿です。

 仏教の最終目的は仏になることですが、仏になるということは、このような欲に溺れず惑わされず……という存在になるのですから、今の私達には遠い状態です。
 ですが、仏説無量寿経には、

釈尊が阿難(有名なお弟子)に仰せになった…
無量寿仏
(阿弥陀如来)の国に生まれる人はみな正定聚(必ずさとりを開いて仏になることが決定しているものの仲間)に入る。……無量寿仏の名を聞いて信じて喜び、わずか1回でも仏を念じて心からその功徳をもって無量寿仏の国に生まれたいと願う人々は、みな往生することができ、不退転(すでに得たさとりや功徳を決して失わない)位に至るのである。ただし、五逆(父殺・母殺・阿羅漢の聖者を殺す・仏の身体に傷をつけ出血させる・教団の和合を破壊し分裂させる)の罪を犯したり、仏の教えをそしるものだけは除かれる。

と、あります。

 日々の生活に追われ、家族の為に働き、気がついたら自分を省みる時間すらあるのかどうかという、めまぐるしい世の中です。
 お念仏は「私が」するお念仏ではなく、困った時に助かる呪文でもありません。
 阿弥陀様が私達に働きかけてくださるからこそ出る念仏。そしてそうやって阿弥陀様のお働きを感じ、阿弥陀様のお名前を呼ぶ念仏です。
 阿弥陀様のお名前を呼び、我が身を省み、「ありがとうございます」と感謝し、生かされていることを喜んでいる…そういう心の時くらいは、暑さ(欲心)も忘れているのではないでしょうか。

2001年8月

 

 

見えそうで見えないのは
自分の短所と欠点

 こんな話を聞いたことがあります。
 自分の大将である源頼朝の為なら、いつ命を投げ出してもよいと思っている家来がおりました。その名前を熊谷直実といいます。
 戦乱の最中の武士といえば、敵を殺すことを生業としていたと言っても過言ではないはずです。
 実直で、信じたら突っ走るタイプの性格の人でしたから、大将の為なら一生懸命に人を殺したはずです。
 ある時、自分の叔父さんと陣地争いになり、信頼する大将に判断をゆだねました。意外にも自分の意見が間違っているとの判断を下され、最も信頼する大将に裏切られたと思いこみ、突っ走る性格が禍し、腹立ち紛れに髪を剃り、出家してしまいました。
 こんな戦乱の時代には、仏教とはどんな教えかも知らないし、その気もなく、こんな形の出家が沢山あったそうです。

 なんであれ、出家してしまったので戦にも出られない暇な日が続き、そのうちに、敵兵といえども沢山の人を殺してきた過去のことが気になりだしました。ひょっとして、自分は地獄に落ちるのではなかろうか、地獄でどんな目にあうのだろうか。今更とりかえしがつかないし、どうしようか。不安でたまらない毎日となったのです。
 その頃、あちらこちらから法然上人(浄土宗の開祖で親鸞聖人の師)の評判が聞こえてきました。自分も上人の教えを聴いてみよう、相談してみよう、というので上人のもとへ行き、お弟子さんに取り次いでもらう間に持参の大刀を研ぎ始めました。
 今まで沢山の人を殺してきた代わりに手を落とせ、足を切れと言われるかと思い、それならよく切れるようにしておかないと痛いだろうと…との思いでした。
 しかし、驚いたのはお弟子達です。上人にもしものことがあったらどうしよう!という心配です。慌てて上人に知らせましたが、上人は喜んで会うと仰せになり、直実の相談をうけられたそうです。

 法然上人の仰せには、「手や足を切る必要はない。罪の重い軽いに関係なく、ただ念仏するだけで仏になれる」ということを、懇切丁寧にお話されたそうです。
 阿弥陀様の大慈悲心を知った直実は、大声をあげて泣き出したと言います。
 悪の限りを尽くした自分が痛い目にもあわず、苦労もせずにただ念仏するだけで地獄へ落ちるどころか仏にしていただけることの嬉しさのあまり、泣かずにはいられなかったのです。

 以上、聞いたお話ですが、ここで注意していただきたい事があります。
 このお話では「念仏して」と思えますが、法然上人・親鸞聖人共に「阿弥陀様の大慈悲心・お救いを信じて」から「ご恩報謝の念仏」と仰っておいでになります。

 さて、誰しも他人の短所と欠点は見えますが、自分の短所・欠点はナカナカ見えにくいものです。でも静かに考えてみれば、少しくらい気づくことができるでしょう。
 でも、どんな短所・欠点があろうと、阿弥陀様の前では苦になりません。欠点だらけの私だからこそ、阿弥陀様は心配で心配で私の傍を離れられないのです。短所だらけの私だからこそ、お救いくださるのです。

 村田静照師(昭和7年逝去)のお話に、
「海水浴するには尻を洗わなくてもよい。でも銭湯では尻を洗わなくては他人が嫌な思いをする。また、お湯が汚れる。」
という例え話があります。
 阿弥陀様の前では短所・欠点があってもよいが、他人様の前ではなるべく無い方が良いと思います。私の感じる迷惑を思うと、よそ様にも自分にも迷惑をかけていることになりますから、なるべく短所・欠点を減らしたいものです。

住  職

2001年9月

 

 

人間を 本当に自覚させるのが 仏教

 本当の私って、どんなでしょう。
「あなたはどんな方ですか」
というようなことになったら、なんと答えますか?職業や地位のような、社会での肩書きでしょうか。競争社会に育った私達は、(今の子供はモットすごいらしいですが…)「履歴書に書くような肩書き」=「その人」
と、認識しがちになっているのかもしれません。
 そして、いざ自分を見つめるというと、とても困難な気がしてしまいます。
 実際、慌しくめまぐるしい日々の中で、自分を見つめる時間はありますか。

 お参りにうかがった時に門徒さんとお話しておりますと、
「お仏壇の前に座って仏様に手を合わせる時は、なんだか静かな気持になれて、いろいろと考えることができるんです」
と、おっしゃる方がいらっしゃいます。
 それは、何時間という時間ではないでしょう。朝、お仏飯をお供えして手を合わせたとき、お花のお水を取り替えて手を合わせたとき、ご法話を聴いたとき、亡き人を思うとき……ほんの少しの時間でよいのだと思います。
 肩書きも何もなく、そのままの私の心を見つめるとき、普段は穏和で優しいといわれる人であっても、怒ったり奢ったり愚痴ったりしてしまう心もまた見つめることになるでしょう。

 親鸞聖人もまた、ご自分を特別とおっしゃることなく、欲を抑えることができない、阿弥陀様の本がん力によって信心をめぐまれている凡夫であると、おっしゃったそうです。
 皆さんに
「お参りしましょう、手を合わせましょう」
とか言っている私自身にしても、腹の立つことも、愚痴りたくなることもある。仏様になる力を何一つ持っていません。
 そう思うようになったのも、やはりお聴聞したり、手を合わせる姿を見て育ったりして、お念仏に出会えたからだと思います。
 年を追うごとに世の中の競争が激しくなり、自己のあり場所が肩書きや偏差値で表されてきているように感じますが、そんな今こそ、そういうものを取り去った私というものを見つめたいものだと思います。
 また、そんなあなたの姿を見て、お念仏が、あなたの心が、子々孫々伝わっていくのではないでしょうか。

2001年10月

 

 

法をうくるに 身をもってし
物をうくるに 心をもってす

 先月、田中よねさんの17回忌法要が勤まりました。92歳で亡くなっておられますが、その2年ほど前まで別院のお晨朝(朝のお勤め)によく参られ、永年ご法話を聴聞し、本当に念仏をよろこばれる方でした。
 ある時、誰かがお仏壇のご本尊を指し
「あれは絵だろうが」
と言われたそうです。田中さんは私に
「ちっとも絵とは思わんぞ、ありゃ阿弥陀様だ」
と、おっしゃいました。
 勿論、ご本尊の裏側に「方便法身の尊形」と書いてあることをご存知の田中さんですが、「絵」と言われるには腹が立ったのでしょう。
 あのお姿を通して阿弥陀様の自分に対する願いを聞き、救わずにはおかんとの大慈悲心を喜ぶべきでしょう。「色も臭いも形もない」阿弥陀様を、なんらかのお姿で現さなければ拝むことのできない私です。南無阿弥陀仏の六字名号も木像様も、私にとっては阿弥陀如来様なのです。信仰のない人からみれば、漢字でしかない、仏像・仏画でしかないでしょうが。
 理屈や知識では信仰の喜びはわかりません。また、いろんな欲望から神仏を拝み倒す人も、信心の喜びはわかりません。

 大昔、誰がつくったかは知りませんが、面白い歌があります。

いつも3月花の頃 女房18 わしゃ20
死なぬ子3人 みな孝行
使って減らぬ金百両 死んでも命のあるように

 本当に人間の心を詠んでいるようではありませんか。それを願って神仏を拝み倒している人は、大変かわいそうな人と言えるでしょう。

 念仏の教えは、聞くことが何より大切なことです。田中さんも数十年間、聞くことを続けられました。頷きながら聞いておられたのを思いだします。
 そして我が身の愚かさ、悪を造らなければ生きていけない自分に気付き、阿弥陀様の「助かってくれよ」の呼び声を聞いていくのが本当でしょう。そこに本当の喜びがあるのです。
 では、本当でない喜びがあるのでしょうか。本当でないというより、続かない喜びはありますね。
 よそ様から何かを貰った時は、嬉しいですね。でも、それよりまだ高級なものを貰ったとしたら、どう思うでしょう。先のものが要らなくなるのではないでしょうか。先の喜び、嬉しさは、どうなったのでしょう。しなものだけに捕らわれ、下さった方の気持まで忘れてしまいませんか。

 昔から法要の準備で一番悩むものは、記念品だそうです。最近、贈って喜ばれるかどうか悩むより、便利な商品券や貰った人が選べるカタログが増えてきました。貧乏な時代は何を貰っても嬉しかったのに、豊かな今は本当に喜べないことが多いような気がします。でも、贈る人の心は、昔も今も変わらないはずです。私を思ってくださるからこそ、贈ってくださるのでしょう。
 かくいう私も、品物に捕らわれ、下さった方の気持を忘れがちです。本当に恥かしいことです。自分に心をかけてくれる人がいることは、どんなに有り難いことか。反対に誰も自分を問題にしてくれないと、どんなに淋しいことか。それを思えば、何を贈ってくださっても、その方の自分に対する気持がどんなに有り難いことか、考えてみたいものです。

 念仏の教えを聴聞し、知識でなく本当の自分が見えて来たとき、阿弥陀様の大慈悲心を喜び、心をかけてくれる知人の心も、喜びたいものです。

住  職

2001年11月

 

 

悲しみを通さないと
見えてこない世界がある

 私は今まで、仲良くしてくださり可愛がってくださった門信徒の皆様や、母方の祖父母も亡くしました。勿論、葬儀のときは淋しく悲しく思っておりました。
 母方の祖父は、会話も長くできなかったのに、昏睡状態の時に正信偈を詠んでいたそうで、死に際の祖父が、心から有り難いと思っている「なんまんだぶ」とはなんだろう??と、小学生ながらに不思議だったものですが、「自分も歳をとったら、いつかはそうありたい」と思いました。
 それが今の私のキッカケだったと思います。

 早いもので今月末は第17代住職の一周忌です。
 多くの命に触れている私たちですが、やはり一緒に暮らした家族を亡くした悲しみや淋しさは、また特別でしょう。
 祖父の通夜のときでしたでしょうか……寝付いてしまってからも私の名を呼んで私の手を握っていた祖父の話を、大叔父が皆さんに致しました。
 このようなとき、今まで頭では解っていたことではありますが、家族を見守ってくれている大叔父の思いを、今度は心で受け止めた気がしました。
 また、今まで当然のように一緒に暮らしていた祖父でしたが、いかに私を可愛がってくれたのかも、あらためて感じました。

 祖父の死によって、いろいろな人のあたたかな心をあらためて感じたわけですが、皆さんも同じような経験があると思います。
 当たり前になっていて感じない、人の思いやりや心遣い。親が元気なうちは有り難いというより「口うるさい」と思ってしまい、愛情を注いでもらっても生まれたときからのことですから「当然」と感じる私になっています。
「〜〜してあげた」
とか
「〜〜〜してくれない」
と、ばかりを中心に考えてしまいがちではないでしょうか。

 一周忌を目前にして祖父を思い出すと、あらためて考えさせられることも多いわけですが、24時間、365日、常に感謝の喜びに満ちた心でいられる私ではありませんでした。腹も立てるし、文句を言うことだってありました。感謝の心でいる時間より、嫌な私である時間のナント多いことかと、情けなくなります。が、それも私。

 祖父のことのように死という悲しみだけでなく、いろいろなご縁にあって「ハッ」と気付かされるキッカケは沢山あるでしょう。私だけでなく皆さんだって同じだと思います。
 普段はなんとも思っていないことが、ふとしたキッカケで思いやりに気付かされる。そして沢山の命の中で支えられている自分に気付く。
 腹も立つし、文句も言う私ではありますが、感謝の心を持てる私でありたいものです。

2001年12月