「早くお迎えが来て欲しい」という言葉をよく聞きます。でも、病院へ行くし、自動車が来れば避けます。 このことから2つの事を知ることが出来ます。 (うちの寺では)正月にお参りに行った時にお勤めする「現世利益和讃」(げんせりやくわさん)15首の最後の和讃で、
と、あります。 有名なうたに、
と、あります。 「自分の知恵でははかり知ることのできない仏様、そしてその働きを過去から未来までずっとしてくださる阿弥陀様に帰依します」 住 職 2001年2月 |
最近お寺のホームページのお客様に主婦の方が増え、幼い我が子の成長を喜ぶ声を聞く機会が多くなりました。 昨年の暮れに前住職が亡くなりました。 周囲の子供たちの成長や人の死に接すると、あらためて月日の流れを感じたり、ものはみなうつりかわるのだと痛感したりします。
と、蓮如上人はおっしゃっています。 頭では、死に年齢など関係ないとわかっていても、やはり「自分だけはまだそうではない」と思いたいのが私達の心です。 うつり変わる中で、いつかはこの手の中の大切なもの(家族や友人など)を全て置いて往かなければなりません。娑婆に永遠にいられるわけではありません。今生きていることは「当たり前」ではないのです。現れては滅びる沢山の命に……心に支えられて当たり前ではなく生かされているのです。 「うつり変わり現れては滅びる」というあるがままの私に気づいた時、当たり前だと思っていた事が尊く有り難い事であると感じることができるでしょう。 2001年3月 |
学生時代 秋の京都には、あちらこちらに「在釜」の張り紙がありました。大学の茶道部や一般の社中が、お寺や由緒ある家で「茶会を開いております」という案内書です。 蹲とは「平伏してうずくまる」ことです。 私の子供の頃を思い出しますと、貧乏な時代でした。欲心があってもどうにもならないことが多すぎました。 親鸞聖人の和讃(日本語で書かれた詩)に 一茶は「おらが春」という書物に、他力について述べています。 住 職 2001年4月 |
一蓮員秀存というかたは、岐阜の出身で、後に兵庫の萬福寺(お東)の18世住職となられた人で、各宗の教義を学んだ優れた学者であっただけではなく、生涯聞法に終始された方だったと言われています。 さて、歎異抄の中に、 浄土和讃のなかで親鸞聖人は 南無阿弥陀仏をとなふれば 煩悩にまなこさへられて と、おっしゃっています。 阿弥陀様のことを「親様」とも申します。 私たちは家族や友達や、それ以外の多くの命と一緒に助け合いささえあって生きているから、「ひとり」じゃないとお思いかもしれませんが、「貧苦」といって「他人どころか自分のことで精一杯」ということもあるでしょう。 風鈴は風が吹いて初めて良い音がします。同じように、阿弥陀様のお働きがあって初めて念仏ができるのです。 |
これを書いている5月31日は「世界禁煙デー」だそうです。百害あって一利無しといわれるタバコを吸いながら書いています。 私達は知識と感情との2つの間で悩んでいます。良い事と悪い事の区別がつく私ですが、いつも良い事ばかりでしょうか。損か得か、誉められるか失笑されるか・怒られるか、上れるか落ちるか等と判断しませんか。 過日、八名信夫さんのトークショーに行きました。その中で 10年ほど前ですが、永六輔さんがラヂオ番組で面白いお話をしていらっしゃいました。 「注意したら逆に怒られないだろうか」が優先してしまう事が多いですね。最近はウッカリものを言うと殺されることすらあります。 親鸞聖人は感情に流される事を嘆いて、「悲しきかな」と仰っておいでになります。 いつもいつも可愛い欲しいの海に沈み、名聞利養のけわしい山をあえぎあえぎ上り、阿弥陀様の力で次は仏という位にしていただいたこともそれ程有り難いとも思わず、一日一日尾浄土参りに近寄らせていただくことも、うれしいと思わないでいる。よくよく考えてみれば、まことに恥かしいことであり、我ながら傷ましいありさまである (教行信証) と、嘆いておいでになります。阿弥陀様の大いなる慈悲心から私が仏にしていただくことを知りながら、この世が良い、離れたくないという感情が優先して「欲も多く怒り腹立ち嫉み妬むこころ多い」生活をしている自分です。 昔、流行歌がありました、わかっちゃいるけどやめられない♪の気分で生活しております。 住 職 2001年6月 |
極楽を願うということは、死を願うことと同一ですね。 この言葉は、明治30年、高山(岐阜県)に生まれた中村久子さんが47才の時、芸小屋巡業中に魚津(富山県)で詠まれたものです。 先月14日、私は高山の真蓮寺さんにお邪魔して、沢山残っている遺品を見せていただきましたが、その書の素晴らしいこと……筆さばきなど驚くばかりでした。また、大学ノートにつけられた日記を見ますと、とても口にくわえた万年筆とは思えない筆跡です。裁縫・レース編みなども、既製品と見えるものばかりです。 41才の時、三重苦といわれたヘレン・ケラー女史と会い、自作の人形を贈られました。その時のことをご本人は この頃から親鸞聖人の教えに興味を持ち、歎異抄を読むようになり、沢山の僧侶の話も聞くようになられたそうです。 その煩悩を持ったままの私を仏にしようと阿弥陀様は、仏に成るための「善・徳」が備わった名号(南無阿弥陀仏)を私に下さいます。他人の為にある名号ではないのです。私の為に阿弥陀様が用意してくださった名号なのです。 中村久子さんは歎異抄を読み、ご法話を聴き、そのことを喜ばれたと思われます。 住 職 2001年7月 |
これは真宗大谷派(お東)の句仏上人のお言葉です。暑さは、耐えがたい辛さととらえることができるでしょう。 五欲というのは、色欲・物欲・名誉欲・食欲・睡眠欲のことです。 仏教の最終目的は仏になることですが、仏になるということは、このような欲に溺れず惑わされず……という存在になるのですから、今の私達には遠い状態です。
と、あります。 日々の生活に追われ、家族の為に働き、気がついたら自分を省みる時間すらあるのかどうかという、めまぐるしい世の中です。 2001年8月 |
こんな話を聞いたことがあります。 なんであれ、出家してしまったので戦にも出られない暇な日が続き、そのうちに、敵兵といえども沢山の人を殺してきた過去のことが気になりだしました。ひょっとして、自分は地獄に落ちるのではなかろうか、地獄でどんな目にあうのだろうか。今更とりかえしがつかないし、どうしようか。不安でたまらない毎日となったのです。 法然上人の仰せには、「手や足を切る必要はない。罪の重い軽いに関係なく、ただ念仏するだけで仏になれる」ということを、懇切丁寧にお話されたそうです。 以上、聞いたお話ですが、ここで注意していただきたい事があります。 さて、誰しも他人の短所と欠点は見えますが、自分の短所・欠点はナカナカ見えにくいものです。でも静かに考えてみれば、少しくらい気づくことができるでしょう。 村田静照師(昭和7年逝去)のお話に、 住 職 2001年9月 |
本当の私って、どんなでしょう。
「あなたはどんな方ですか」
というようなことになったら、なんと答えますか?職業や地位のような、社会での肩書きでしょうか。競争社会に育った私達は、(今の子供はモットすごいらしいですが…)「履歴書に書くような肩書き」=「その人」
と、認識しがちになっているのかもしれません。
そして、いざ自分を見つめるというと、とても困難な気がしてしまいます。
実際、慌しくめまぐるしい日々の中で、自分を見つめる時間はありますか。お参りにうかがった時に門徒さんとお話しておりますと、
「お仏壇の前に座って仏様に手を合わせる時は、なんだか静かな気持になれて、いろいろと考えることができるんです」
と、おっしゃる方がいらっしゃいます。
それは、何時間という時間ではないでしょう。朝、お仏飯をお供えして手を合わせたとき、お花のお水を取り替えて手を合わせたとき、ご法話を聴いたとき、亡き人を思うとき……ほんの少しの時間でよいのだと思います。
肩書きも何もなく、そのままの私の心を見つめるとき、普段は穏和で優しいといわれる人であっても、怒ったり奢ったり愚痴ったりしてしまう心もまた見つめることになるでしょう。親鸞聖人もまた、ご自分を特別とおっしゃることなく、欲を抑えることができない、阿弥陀様の本がん力によって信心をめぐまれている凡夫であると、おっしゃったそうです。
皆さんに
「お参りしましょう、手を合わせましょう」
とか言っている私自身にしても、腹の立つことも、愚痴りたくなることもある。仏様になる力を何一つ持っていません。
そう思うようになったのも、やはりお聴聞したり、手を合わせる姿を見て育ったりして、お念仏に出会えたからだと思います。
年を追うごとに世の中の競争が激しくなり、自己のあり場所が肩書きや偏差値で表されてきているように感じますが、そんな今こそ、そういうものを取り去った私というものを見つめたいものだと思います。
また、そんなあなたの姿を見て、お念仏が、あなたの心が、子々孫々伝わっていくのではないでしょうか。2001年10月
先月、田中よねさんの17回忌法要が勤まりました。92歳で亡くなっておられますが、その2年ほど前まで別院のお晨朝(朝のお勤め)によく参られ、永年ご法話を聴聞し、本当に念仏をよろこばれる方でした。 大昔、誰がつくったかは知りませんが、面白い歌があります。
本当に人間の心を詠んでいるようではありませんか。それを願って神仏を拝み倒している人は、大変かわいそうな人と言えるでしょう。 念仏の教えは、聞くことが何より大切なことです。田中さんも数十年間、聞くことを続けられました。頷きながら聞いておられたのを思いだします。 昔から法要の準備で一番悩むものは、記念品だそうです。最近、贈って喜ばれるかどうか悩むより、便利な商品券や貰った人が選べるカタログが増えてきました。貧乏な時代は何を貰っても嬉しかったのに、豊かな今は本当に喜べないことが多いような気がします。でも、贈る人の心は、昔も今も変わらないはずです。私を思ってくださるからこそ、贈ってくださるのでしょう。 念仏の教えを聴聞し、知識でなく本当の自分が見えて来たとき、阿弥陀様の大慈悲心を喜び、心をかけてくれる知人の心も、喜びたいものです。 住 職 2001年11月 |
私は今まで、仲良くしてくださり可愛がってくださった門信徒の皆様や、母方の祖父母も亡くしました。勿論、葬儀のときは淋しく悲しく思っておりました。 早いもので今月末は第17代住職の一周忌です。 祖父の死によって、いろいろな人のあたたかな心をあらためて感じたわけですが、皆さんも同じような経験があると思います。 一周忌を目前にして祖父を思い出すと、あらためて考えさせられることも多いわけですが、24時間、365日、常に感謝の喜びに満ちた心でいられる私ではありませんでした。腹も立てるし、文句を言うことだってありました。感謝の心でいる時間より、嫌な私である時間のナント多いことかと、情けなくなります。が、それも私。 祖父のことのように死という悲しみだけでなく、いろいろなご縁にあって「ハッ」と気付かされるキッカケは沢山あるでしょう。私だけでなく皆さんだって同じだと思います。 2001年12月 |