大谷本廟納骨を終えて(ちょっと旅行記?)

 

 3月16日(土) 家族5人と、弟家族4人とで、父の白骨を持って上洛しました。
 念のために門信徒名簿を持ち。留守番電話を私の携帯に転送するようにして出かけました。
 車で1時間ほど走った頃にベルが鳴り、縁借り(門徒さんではないけれど、手継の寺が遠いために、代わりにお参りに行くという、富山独特の関係の名称)のTさんのお祖父ちゃんが亡くなったとの連絡です。
 片山津インターで降りて、私だけ電車で帰るつもりで電話したところ、お手継のご住職さんが全てやってくださるので、お葬式からお参りすればよいとのお返事をいただき、安心して家族と京都へ向かうことができました。

 目的は納骨ですが、2家族で旅行したのは初めてのこと。9人一緒に寝るか、住職の鼾はどうするか(笑)、2部屋に分けるかどうするか…など、大騒ぎでした。そんな相談をすることもまた、楽しいことでした。

 17日、本願寺のお朝事は夏時間の6時です。(冬は少し遅く始まります)
 まだ寒いのではないかと思い、
「上に着るもの、1枚持っていけよ」
と言っていたのですが、暖かい日になりました。
 母は歩くのには自信があるのですが、座ると膝が痛いと言うので、本堂(阿弥陀堂…現在は御影堂工事のため、総御堂と呼ばれています)の隅に置いてあるパイプ椅子を利用しました。皆様も、本願寺へお参りの際は、ご利用下さい。(わからないときは職員に聞いて下さい)

 お朝事は、お勤めとご法話で、40分程で終わり、境内を歩きながら、弟家族に御影堂平成大修復工事の説明をしながら宿に戻って朝食…の後は、いよいよ納骨です。

 本願寺の北側にある駐車場からは、土・日・祝日・法要期間中に、大谷本廟との間を往復する無料バスが出ています。(日程・時刻表は本願寺サイトに掲載されています)私たちは9時のバスに乗り、しばらくで本廟に到着しましたが、すでに沢山の人がお参りされておりました。
 事務所のカウンターで手続きをし、15分程して本堂でお勤めをしていただき、母はこのときも椅子に座りました。
 読経中、沢山の方と一緒に焼香し、亡き父を思い出しておりました。
 その後、親鸞聖人のご遺骨がある所へ父の白骨を入れてもらい、最後のお別れのつもりで、手を合わせました。

 そのお堂に向かって左側の小さな門を出ると、所狭しと墓石が立ち並ぶ墓地があり、その道を登っていくと、清水さんです。
 途中には「越中国○○」と書かれたお墓もありました。皆様も機会がありましたら、この道を通ってみてください。
 清水さんから、お土産屋さんが沢山ある二年坂・三年坂(二寧坂・産寧坂)を通って、母が知らないという霊山観音を見て、円山公園に抜けていきましたが、有名な枝垂桜はまだ咲いていませんでした。

 納骨も終え、外孫に手をひかれた母が満足そうだったのが印象に残っています。

 その後 昼食を終えて、京都駅でお土産を買って帰ることにしましたが、既に4時です。とうとうTさんのお通夜には間に合いませんでいた。
 結局、お葬式からお参りすることになり、何のための縁借りやらわからなくなってしまって、申し訳ないことをしたと思っています。

 京都の大谷本廟へ納骨するのは、親鸞聖人の直弟子たちが、聖人が亡くなられた後、生前の思い出深い聖人を慕う思いから「一緒に墓へ入りたい」と家族に頼んだのが始まりで、小林一茶も、親の分骨をしているそうです。

 本廟の向かって右側に、納骨壇が沢山置かれている納骨堂があります。影現寺は、この使用権をもっておりません。
 発売当時、前住職が門徒の世話方さんに相談したところ
「容器のまま入れるのだから、イッパイになったらどうするの?」
と言われて、権利を買わなかったそうですが、今となっては良かったのではないかと思っています。
 いっぱいになって、もう白骨が入らなくなってしまった話も聞きます。また300万円で買ったというお寺もあります。
 私は、皆さんと、聖人と同じ所へ入りたいと思っております。

住   職

2002年4月